農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【9月7日のブログ】

先週の木曜日から、あれこれ文章をいじるばかりで、結局まとまっていないブログ。

でも、せっかくなのでアップする。

今週も盛り沢山な土日を過ごしたので、そのことも残したいし、、、。

アウトプットが間に合わない(笑)。

 

 

***************

 

 

そういえば、「暑い、暑い」と言っていた毎日だけれど、日中の暑さの中にも、秋の訪れを感じる瞬間が増えてきたように思う。
まずは、体温よりも高くなっていた日中の気温が、体温以下に、さらには、30℃程度にまで下がる日もでてくるようになった。
それでもやっぱり暑いのだけれど、湿度が低くなり、吹く風が爽やかになった。
立っているだけで、じっとりまとわりつくような空気だったのが、からっと軽く吹き抜けるようになった。
「あっ、秋だ」
そう感じることが確実に増えた。

日の出もゆっくりになって、勢いのあるセミの大合唱も終わり、時々ツクツクホウシが数匹順番に鳴く程度になった。
汗だくで準備していたお弁当の唐揚げも、気が付けば汗を流さずとも作れるようになっている。
夕方は虫の音が響き、部屋に籠った昼間の熱気も、窓を開ければ涼やかな風と共に入れ替わり、心地よく感じるようになった。


木曜日はお茶のお稽古。
月初めのお月謝の準備をする。
あっという間にひと月過ぎて、びっくりする。


ピンクの絽の着物。
この着物は、我が家から一つ向こうの通りに住むご婦人にいただいたもの。
無地に見えるけれど、百合の織り模様が入っていて、ほとんど透けないので、ぱっと見単衣の着物に見える。
帯はまだまだ暑いので、紗。
といいながら、夏物の帯揚帯締めはすっかり片づけてしまった。
半襟はビーズ。左衿がちょっとヨレてしまっているが、そこはご愛嬌ということで。

この時期は、何を着るか結構迷う。
基本的に9月からは「単衣」といって、「絽」とか「紗」とか夏の透ける着物と、「袷」の2枚仕立てになっている着物との間の着物を着る。
でも、やっぱり暑いから、少しでも涼しくしたいけれど、いつまでも真夏の装いというのも気が引ける。
真夏の着物だけれど、秋を感じさせるものを身に付けたりして、いかに見た目に「秋」をとりいれるか悩むところでもある。
自分が心地よい感じで着付けることだけで考えていればいいものを、わざわざ見ている人がどんなふうに感じるかまで考えてしまう。
ちょっと煩わしいことでもあるのだけれど、せっかくの着物姿だから、自分も人も心地よくありたい、と思う。


お茶の設えも同じ。
暑い時期には涼し気に。
寒い時期は暖かく。
客人が少しでもくつろいで、心地よく感じてもらえるように準備をする。

こういう人と心を通わせる精神というか、寄り添って思いやる気持ちって普段の生活でも生きてくると思う。
度が過ぎるとただのおせっかいだったり過保護になったりするのだろうけれど、さりげない思いやりだとか気遣いというものに出会うと、本当に感動するし、癒される。
そういう心のやりとりができるということは、想像力だとかやさしさというものが必要だと思う。
せっかくの思いやりの行為も、受け取る側がそれと認識してくれなくてはただの一方通行。だからと言ってとやかく騒ぎ立てる必要はない。だって、自分の中でのその想いや行為は消えないのだから。

お茶を通じて自分や人と向き合う。
着物を通じて季節や文化を知る。
日常と非日常を行ったり来たりしながら、毎日の生活と私らしい暮らし方を探っている。