農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【うつりゆく日々】

今日はまたまた雨。
肌寒い一日に。

やっと開花


センター裏にあるソメイヨシノ
お天気で春の陽射しが気持ちよかった昨日、数輪開いているのを確認。
やっと会えたね。
じわじわと喜びが溢れてきて、思わず笑顔になる。


今日はお稽古日。
先週と同じ桜の着物。

帯を変えて。ピンボケ( ´∀` )


そして、今日で釣窯はおわり。

釣窯と茶通箱のお点前


ゆっくりと揺れる釣窯。
名残惜しさを感じるとともに、季節がまた一つ進むことを実感する。

センターも、人事異動による別れを惜しんだり、思い出を語り合う時間は過ぎて、4月に向けた実務的なやり取りの最終調整に入った。

土日の度に雨降りだったけれど、今度の土日は晴天になりそう。
畑もやっと模様替え。

そして、長男もいよいよ家を離れる。

そう、すべて順調。
そして、これからも。
Everythings  gonna be alright.

 

 

【「大丈夫」は、最強】

今日は久しぶりのお天気。
春の陽射しが降り注いでいる。
今日一日で、桜の開花も一気に進みそう。
咲き誇る桜は楽しみだけれど、今年は早くに散ってしまいそう。

毎朝、裏の畑から、うぐいすのさえずりが聴こえている。
「さえずり」だけで、「ホーホケキョ」とは鳴かない。
出し惜しみなのか、発声練習中なのか、「キョキョキョキョ」楽しそうにさえずるばかりで、なかなか歌わない。
あの鳴き方は、特別な時なのだろう。
そう思っていたら、今朝、やっと鳴いてくれた。


youtu.be

 

途中、井戸のポンプが水をくみ上げる音が入っちゃった(笑)。


昨日は、気が重かった会議が、特に問題もなく無事に終了した。
異動していった担当職員による、いい加減な運営が行われていた団体。
コロナもあって、すっかり脆弱な組織となってしまった会を、なんとか立て直しながら今年度を終えることができた。
会議が終わって事務所に戻って、開口一番、叫ぶ。
「1年間、あたし、頑張った!!」
そしたら、事務所の仲間たちも、
「頑張った!えらかった!」
って言ってくれた。

団体の目的や果たすべき役割も抜け落ちた、意識の低い会員による権利主張ばかりの集団。会長さえも、組織を理解していない、そんな団体のかじ取りをしてきた1年間。
途中、生涯学習課、まちづくり推進課、さらには、総務課にまでクレームを入れられながら、それでも団体のあるべき姿に近づけるように働きかけてきた。
親子ほど年の離れた男性に向かって、耳が痛いことも言わなければならない、そんな場面がたくさんあった。
今年度最後の会議では、いろんな方面に配慮してきた結果、本当にうまくまとまったと思う。議事録もしっかり残したし、パソコン内のフォルダも整理した。だから、来年度は、ずっとうまくまわっていくはず。
ほんとに、頑張った!



そういえば、、、
その前日の月曜日、朝起きた時に、
「あっ、大丈夫だ。すべてうまくいく。」
そう思った。
思ったというより、「感じた」という感覚かな。
降りてきた感覚を言葉にしたら、「大丈夫」だった、そういう感じ。
自分のことも、周りのことも、気になっていることは、ちゃんとうまくいく。
そして、そんなふうに進んでいる。
大丈夫。
ちゃんとなるようになっていくよ。


【真夜中の雷と明け方の「ありがとう」】

昨晩、ブログを書いていて、誤って全文消してしまった( ;∀;)。
もう一度書こうと思ったけれど、睡魔に負けて眠る。

夜中に目が覚めると、遠くで雷が鳴っていた。
近づいてくるかな?と思いながら、布団の中で、雷を聴く。
青白い光がカーテン越しに届く。
雷は怖いから、できれば近づいてほしくないな。
でも、空にいる雷さんにとっては、福岡県の空なんて、一瞬で駆け抜けていけることだろう。
そう思いながら、青白い光が届いてから音が聴こえるまでゆっくりカウントして、雷の距離をはかる。
・・・はかった秒数になにを掛けたら距離になるんだったけ?
こういうところが私らしいと、笑えてくる。
雷と私の距離がわからなくても、まあ、いいや。
そんなことを考えながら、布団にくるまって過ごす。

夜中に目が覚めて、その後しばらくして眠れることもある。
眠れないときは、本を読んだりすることもあるけれど、ダメだとわかっていながら、携帯に手を伸ばしてしまう。
みなさんのブログにお邪魔したり、ネットサーフィンなんかしたり。
そんななか、何気に見た記事で、ブロ友さんのことを思い出したので、ちょっと残しておこうと思う。

記事の見出しは、

【人生は、努力したり、頑張る必要はなく、ただ「頼まれごと」をやればいい】

というものだった。
「努力したり頑張る必要はなく」というところが気になって、読んでみると、

 

人生というものは、「自分が努力をして、汗をかいて、自己達成目標を立てて、そこに向けて努力まい進することが目的である」と教え込まれてきたけれど、じつは、「頼まれごと」に対して「はい、わかりました」と言ってやっていけばよく、周囲に喜ばれるように生きていくと、人と人との「間」で生きる「人間」になれる

・・・・・

人の間で生きるということは、自分が必要とされているということ
人間の生きる目的は、欲しいものを得たり、なにかを成し遂げることではなく、「人の間で喜ばれる存在になること」「『ありがとう』と言われる存在になること」

・・・・・


ふーん、そうか。
頼まれごとに関しては、できるだけというか、ほとんど「Yes!」か「はい!」の私は、人と人の間で生きていけるようになれるのかな。
続きに目を通す。

発する言葉や表情など、その人のふるまいが「まわりを喜ばせるもの」になっていれば、投げかけた結果として、周りの人があなたにとっての「よき仲間」になってくれる

 

教え合い、学び合い、交歓しあう「よき仲間」に囲まれたなら、それだけで「天国度100%」。頑張りも努力もいらない。ただ、「喜ばれること」を続けていけばいい。
これこそが「人生の目的」であり、「しあわせの本質」・・・


なのだと。

そして、最後に気付いたのだけれど、このコラムは、『ダイヤモンド社書籍編集部からのお知らせ』で、小林正観さんの『ありがとうの魔法』の案内だった。

小林正観」、「ありがとう」のキーワードで、いつもお邪魔している(id:kyokoippoppo)さんのことを思い出す。

私の「ありがとう実践」 - kyokoippoppoの日記

 

ああ、きょうこさんと私は、こういうところで繋がっている、そう感じて嬉しくなる。
きょうこさんは、北の大地、オホーツク海に面した土地に暮らしていて、もちろん、お会いしたこともない。
それでも、こうして大海原に漂うごときブログの世界で、奇跡のような出会いをし、思いがけずシンクロする。

ありがとう!ありがとう!

意図せずこぼれる「ありがとう」

今日はそんなふうに一日が始まって、気が重い会議も無事に終わって、解放感いっぱいの夜を過ごしている。

桃の花が咲き始めたよ