農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【お茶のお稽古ーお軸の言葉から感じたことー】

木曜日はお茶のお稽古日。

本日の着物。

f:id:mosgreen3111:20220203220159j:plain


何着るかとかぜんぜん考えていなかったので、リサイクル着物とリサイクル帯によるお稽古鉄板スタイルです。

感染者数が増加中。お稽古も、お互い気を配りながら続けています。
先生と私だけ、とか、先生と先輩と私、最小限で。
そして換気しながらマスクして、先生宅にお邪魔するときは消毒して…。

f:id:mosgreen3111:20220203220539j:plain


お軸は、
「春、千林(せんりん)に入(い)る 處々(処々しょしょ)の鶯(うぐいす)」

春、いたるところで鶯が鳴いているっていうような雰囲気に捉えてしまうけれど、このお軸の意味、実はすごく深かったのです。
だいたいお茶というものは禅との関係が深いのですが、このお軸も、もとになった禅語があって、それが
「春入千林處々花 秋沈万水家々月」。
(はるは せんりんに いる しょしょの はな
 あきは ばんすいに しずむ かかの つき)


「処々」も「家々」も、ところどころではなく、「至るところ」ということ。
寒い冬が終わり、春ともなれば、貧富大小の別なく、公平無私にうららかな春光がふりそそぎ、「千林」、すなわち至るところで芽を出し花を咲かせます。
同じように秋にもなれば明月が
皓々こうこうと輝き、「万水ばんすい」、すなわち洋々と拡がる海洋にも、滔々とうとうと流れる大河にも、満々とたたえる湖水にも、また小さなつくばいの水にも月影を写し出します。そこに何人の取捨選択の心もありません。皆な平等にその姿を映じます。
 「春は千林に入る処々の花、秋は万水に沈む家々の月」は、大自然の働きにたと
て、仏の慈悲がいかに公平無私にして広大無辺であるかを示した句です。

 仏の慈悲とは他人事ではありません。私たちの思いやりの心です。
私たちはえてして、老若、男女、美醜、賢愚、貧富、大小等の違いによって差別しがちです。
春の陽
光のように、秋の美しい月のように千差万別の区別を越えて、誰にでも同じようにその恵みを及ぼさなければなりません。



臨済宗 黄檗禅 公式サイト 臨黄ネットよりー
 
千宗旦(利休の後妻の連れ子少庵の子)が、「花」を「鶯」に言い換えて、
声を出す鶯よりも身近にある野の花々の方があるがままだと諭したんだとか、、、

お話を聴いて、物事をあるがままに捉えることの難しさだとか、誰に対しても等しく恵みがもたらされるように、、、ということはなんとなくわかったかなぁ。


お花は、水仙
花入れは「唐銅(からかね)桔梗口」

凛とした空気をまとった床の様子と、寒さで冷たく張り詰めた空気が、なんとも心地よい空間でした。

物事をあるがままに、、、
差し込む光を誰にでも等しく、、、

お茶のお稽古って、お手前の手順だとか、お道具の名前を覚えたりとか、そういうことよりも、学べば学ぶほど、周辺の知識、なんていうのかな、ー心のありようーとでもいうのかな、そういうところに行きつくような気がします。
そして、コロナによる制限された生活が長く続いているせいもあってか、今日のお軸のお話なんかを聞いていると、とくにそんなふうに感じたのでした。