農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【散らかった部屋を片付けながら思うこと】

遅れ気味のアウトプット、第2弾(笑)。
これも、先週、途中まで書いて下書き保存していたもの。
今日も大放出~~~。

 

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金曜日。
一週間を乗り切って、買い物をして帰宅。

休む間もなく夕食準備。
今日はミートソースのスパゲティ。
玉ねぎのみじん切りは、朝済ましておいた。
冷凍保存していたざく切りトマトでトマトソースを作るつもり。

台所へ行くと、、、


お昼に目玉焼きでも作ったのかな。
油ギトギトのフライパンがそのまま。
キッチンペーパーで拭き取って洗う。

それから、居間のダイニングテーブルの上には、、、


おやつに芋けんぴを開けたみたい。
他にも台フキンが放置されたり、のみかけのグラスが放置されたり。
これもそれぞれ片づける。

なにかを始めるにも、必ず片づけから。
そしていつも、何かしら散らかっている。
こういう状況にも、慣れた(笑)。

義母は、片づけが苦手で、途中でなにか別のことを始めて忘れてしまったり、鍋は洗ってもフタは洗わない(笑)みたいな、そもそも、出したものを片づける習慣が備わっていない。
散らかしてしまっていることへの気付きはないし、悪気もない(笑)。
それで、大抵、夕方帰ってきた私が、なんとなく片づけている。
この日も、まずは片づけから。そんな感じ。


そうこうしていると、裏の畑で作業中の義母がやってきて、
「今日は栗ご飯を炊いているよ」
と。
なんだか嬉しそうに見えるのは、気のせいか?
ちなみに栗ご飯の栗は、去年のもの。
皮を剥いて冷凍保存していたのだけれど、本格的な今年の栗シーズンが始まる前に、できるだけ在庫処分、そういう魂胆だろう(笑)。

スパゲッティの予定だったのだけれど、、、
スパゲッティは明日に変更。
急遽、買ってきたばかりのサバを煮付けにして、ピーマンとベーコンを炒めて、あとは酢のものを作る。
うーん、次男に「江戸時代」といわれそうな、地味なメニュー。
まあいい、次の日はスパゲッティだからな。

そういえば、こうゆう急な予定変更にも動じなくなった。
そもそも私には、今みたいな柔軟性も許容力も応用力もなかった。
むしろ、思い通りに進まないことを人のせいにして勝手に苛立ってばかりいたような気がする。

しつこいかもしれないけれど、もう一回言う。
義母の言動には悪意はまったくない。
朗らかでおおらかで、天衣無縫とでもいえる人柄。
こういう無垢な正直な心根でいる人の言動と、明らかに悪意がある人の言動というものの違いは、さすがの私でもわかるようになった。

要は、片づけが苦手なのだ。
そんな人に、片づけるよう強く言っても、それは漠然とし過ぎて意味のないことで、具体的な片づけ方ということを一緒にやっていかなければならないのだと思う。
だけど、相手は、お姑さん。
自分の子どもではないし、血のつながりのある親でもない。
遠慮なしに言いたい放題の母娘いうわけでもないので、私は、「片づけが苦手」という義母の特性に気付き、付き合っている。


片付いていなければ、できる範囲で片づければいい。
義母がしたことは、悪意のないことだから、詮索したりせず、私ができることをすればいい。
そうして、きっと、私の至らない面も、義母は気付いてか気付かずしてか、補ってくれているはずである。自分ばかりでが気を遣っているのではなく、お互い様なのだろうなということに、子どもが手を離れ、気持ちに余裕が持てるようになってようやっと気づくのである。
義母が自由で居てくれるから、私も自由で居ていいのだなって思える。


たぶん、義父母が健在の間は、2人が遠慮なく散らかしたリビングを、ごそごそと片づけ続け、義父母がいなくなればいなくなったで、遺していったものをごそごそと片づけるのだろう。
そうやって片づけながら、自分の理想の住まい、暮らしを追い続けるのだろう。