農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【『川の流れのように』を思い出したよ】

昨日はお茶のお稽古でした。

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お軸は「丹頂 千年の寿」。
長寿や多幸を祈る、新年のおめでたい禅語です。

お花は、「ツノハシバミ」「椿(加茂本阿弥かもほんなみ)」。
ツノハシバミは、食用になるようで、煎って食べると和風ヘーゼルナッツのようだそうです。
椿もいろいろな種類があって、名前も洒落たものがたくさんある。
今回の加茂本阿弥も、別名「窓の月」っていうそうで・・・。


今日の着物。

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リサイクルの更紗模様の小紋
この着物、ずっとずっと先まで着れること間違いなし。
写真で見ると地味だけれど、着てみた印象はそうでもない。
着物って不思議だな。
帯はいただきものの博多織。潔く、赤一色。

お稽古は、「初炭」「台天目」


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火箸で炭を扱うのですが、2本同時に持ったり、それも皮目を合わせてぐるっと向こうにもたれかけるように置いたりと、火箸を握る手に力がこもればこもるほど、炭の扱いは難しくなっていくのです。
炭なんて、種類別にしてあるけれど、同じ種類であっても、同じ大きさ太さのものなんて絶対存在しない。
この炭の組み合わせなんて、もう2度とめぐり合わせないこと。
そういう意味ではほんとに一期一会(笑)。
あとからそんなふうに思うのだけれど、初炭のお手前の手順や内容としては、それはそれは散々でした。
しょんぼりしながらもそれでも続けていけるのは、できなくて当たり前だし、完成されることがない世界に身を置いているって思っているからかな。完璧にできた!という時は永遠に来なくて、むしろ完璧にできた!だとか、よくできた!と思うときほど己を疑った方がいいのかも。大事なのは、カタチではなくて、おもてなしのココロなんだよな。そんなふうにお茶の世界をとらえています。


まあ、できなくても気にしない言い訳を述べてみました。


昨日は、自分の仕事以外で依頼されていたことが一つの区切りを迎えました。私は「お手伝い」というのも名ばかりだという程度のことしかしていないのだけれど、全体の評価がなかなか良いものだったそうで、その仕事は、次のステージへと動いていくことが決まったそうです。
ちょっとだけしか関わっていないけれど、応援している人の仕事がうまくいくことはとても嬉しいことでした。


誰とどんなふうに仕事をしていくか、
それだけではなくて、
どこでどんなふうに時間を過ごしていくのか、
仕事や子育て、家事などに追われる毎日。
でも、目の前の出来事にとらわれすぎるのではなく、自分の人生の流れみたいなものを見失わずに生きていきたい。
表現するのが難しいのだけれど、狭い範囲の枠にとらわれず、大きな流れに身をゆだねるそんな自分で居れたらいいなと思っています。


できることもできないことも、うまくいくこともうまくいかないことも、全部そういうふうにできている、自分の意志なんてほんのちっちゃなモノ、あってないようなものなんだよな。