農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【2日連続 き・も・の】

23日は、呉服屋さんの若旦那初企画「博多織と浴衣を学ぶ会」でした。

 

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義母と着物を着ていきましたよ。

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左が私。右が義母。
義母の着物、裾のぼかしがきれいでしょ~。


博多織の歴史は、織りの世界では一番古いんだそうで。
あ、そうそう、今日のブログは、学んだことのアウトプットです。もしよろしければ、お付き合いください(笑)

織りの技術というものは大陸からもたらされていて、博多にある臨済宗のお寺、承天寺の僧侶と博多の商人が中国「宋」に赴いて、いろいろな技術を修得し持ち帰り、特に織物技法だけを「家伝」として伝えてきたそうです。ちなみに、その時に持ち帰った様々な技法に、羊羹、饅頭、蕎麦、饂飩、などがあるそうです。製粉技術が伝わったことで、日本の「粉文化」が発展していったそうですよ。

今回お話をうかがった織屋の社長さんのご先祖様は、長崎から博多へ出てきて、この「宋」から戻った博多の商人と商いをともにしたそうです。その後も代々、商人として博多で商いを行っていたそうですが、江戸末期のご先祖様が博多織の織屋として商いを興し、今に至っているとのことでした。

博多織の伝統的な図柄は、黒田長政が博多織の帯を江戸幕府への献上品としたことがきっかけとなり、今も「献上柄」として伝わっています。この献上柄は、「独鈷」と「華皿」という、仏具がモチーフとなっており、承天寺とのつながりの強さを感じました。承天寺では、毎年秋に「博多織品評会」というものが行われており、1年間で作られた作品が境内に所狭しと飾られ、一般の方の投票もできます。庭にお茶席が設けられたり、博多芸妓による「見番」が設けられたりと、大変賑わいます。
ちなみに、同じ帯の「西陣織」も献上されていたそうですが、献上先があちらは天皇家、博多帯は徳川家。同じ「献上帯」でも、献上先が違うという面白いお話も聴けました。明治以降の博多織は、県や市からの依頼で、皇室へ献上しているそうです。

私はこの日は、博多織の帯を主役に着付けをしました。

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2週間ぶりの着付けは、ちょっとイマイチです。
背中の両サイドにシワが入ってしまっていますね。
まあ、気にせずに帯の柄を見てください(笑)

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中央に浮き出たような模様が、「独鈷」(「独鈷」を転がすとできる模様らしいですが、実際に織屋の社長が魚拓のように転がして挑戦してみたけれど、まったく違う模様になったそうで、まあ、モチーフ化したんでしょう・・・とのことでした(笑))。
縞模様を挟んで織り込んである花柄模様が「華皿」です。
縞模様にも意味があります。
太い線が「親」、細い線が「子ども」をあらわしていて、細い線が中央にある縞は、親が子どもを守っているので「家内安全」。太い線が中央にある縞は、子どもが親を守っているので、「親孝行」。縞模様両方で子孫繁栄となるそうです。


江戸末期に織屋に転向したお店は栄え、明治の文明開化でジャガード織りが取り入れられ、織の技術が機械化され、手織りと同時に工場でも生産されるようになります。
こちらの織屋では、デザインから糸をつくる過程、機械へ経糸を掛ける作業、仕上げといった、帯を作るすべての工程を工場内で分業で行っているそうです。
そして、機械に糸をかけていく作業がもっとも重要で、こちらの準備の良し悪しで帯の仕上がりが変わってくるそうです。また、工場内のジャガード機は古く、部品の交換もままならないそうなので、毎日の手入れがとても重要で、職人さんが丁寧に手入れしているとのことでした。

こうやってお話を伺うと、職人さんが腕によりをかけて作り上げていること、モノを大切に、歴史を大切に、過去から未来へとつなぐ仕事をされていること、帯に織り込められた思いをしっかりとかんじられる勉強会でした。


そして今日はお茶のお稽古。
2日連続で着物です。
今日はきれいに着つけられました。

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着付けがうまくいって嬉しかったので、珍しく横から撮ってみました。

 

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「まなぶ」って、尽きないな。
好きなことを「まなぶ」って、楽しいな。
できるだけ深めていくことができるといいな。そう思っています。