今日はお茶のお稽古でした。
先週もお稽古だったのだけれど、先週は、ほぼ一か月ぶりのお稽古でした。
一か月も開くとダメですね・・・。
その間、自主練なんかもしなかったし、袱紗も触らなかった。イメージトレーニングさえもしていない。
そのまま臨んだ先週のお稽古は、お点前の手順もそうだし、なにかしら、心ここにあらずといった感じで、どうも落ち着かないし集中できない。そういった心持ちがすべて現れてしまっている、そんなお点前でした。
原因の一つだろうなと思ったことが、着付けがうまくいかなかったということ。
いつものお稽古着なのに、なんとも緩くてぐずぐずした着方になってしまっていたのです。
腰ひもの結び方が緩かったし、その前の長じゅばんの合わせ方も緩かった。
帯の締め具合も緩くて、全部着付け終わってから、あれこれ手直ししようとして、さらに崩れていく。どうしようもなくて、なんとか取り繕って先生宅へ行ったけれど、すべてが正直に現れたというわけです。
お茶のお稽古は、はじまりがすべてなんだなって思ったのです。
先生宅について、お稽古のお道具を準備するずっと以前から、お茶のお稽古は始まっていて、それが朝の着付けだったり、袱紗や懐紙の準備だったり、その心の流れが一服のお茶へとつながっているのだなということを実感したのでした。
なので、今日は、着付けのときから集中して、抑えるべきところを抑えることを意識して、着付けました。
先週の反省とこれまでの経験から、長じゅばんがきちんと着れていれば着物の着方はあまり問題ないように感じます。腰ひも一本をしっかり締めておけば、あとはゆったり自分の好きな合わせ方で大丈夫。
良い着付けというものは、腰ひも一本の締め付け具合が心地よく、着崩れの心配もなく、背筋も伸びて気持ちがいいのです。
お軸:「閑座して松風を聴く(かんざしてしょうふうをきく)」
花:「牡丹」
花入れ:「薩摩焼」
なんでも準備が大事ですね。
心の余裕と時間の余裕が生まれます。
忙しくてあわただしい毎日だけれど、学ぶことたくさんの毎日です。