今日は、仕事帰りに、1年ぶりに朋友に会いに行ってきました。
呼び鈴を鳴らすと、彼女のお母さんが出てきてくれました。
夕飯準備時の忙しい時間帯の訪問を詫び、お参りだけさせてほしい旨を伝えると、喜んで迎え入れてくださいました。
「毎年お忙しい中お邪魔してすみません。おまいりさせてもらうことで、かえってご迷惑をおかけしてる気がして申し訳ないのですが・・・」
という私に対し、
「いつもありがとう。忘れずに来てくれて。」
お母さんはそう優しく言ってくださいました。
仏様の前に座ると、結婚式の時のドレスを着たかわいらしい彼女が弾ける笑顔でこちらを見ています。わたしもにっこり微笑みかけます。
ろうそくに火をつけてお線香に火をうつしていると、彼女のお母さんが話しかけてきました。
「この前ね、娘の病気が分かった時に、あなたが娘にくれた手紙が出てきたの。」
「えっ、そうなんですか?私、手紙とか書いてたんですね。ごめんなさい、覚えてないです・・・。」
「パンダの封筒と便箋でね。」
「ああ、その便箋なら覚えています。やだ、私、なんて手紙書いたか覚えてなくて、なんだかいろいろ申し訳ない・・・。」
「わたしがいつも座ってる席のすぐうしろの引き出しからでてきてね。本当にありがたかったのよ。」
そうおっしゃってくださいました。
そういわれてみると、彼女が入院するときに手紙を書いたかもしれない。うっすらぼんやりそんなふうに思い出したのだけれど、どんなことを書いたのか、まったく思い出せなくて、さらに、このときの病気が、「再発」だったことなんて、その時の私は全く知らなかったから、たぶんおそらく、わたしのことだから、あまり深く考えず軽い気持ちで手紙をしたためたのかもしれない。
お母さんの話を聴きながら、自分の行いの恥ずかしさと、その時の彼女はどんな気持ちだっただろうという思いと、その手紙をおそらく読んだであろうお母さんの気持ちなど、いろいろなことが頭の中を駆け巡って、手を合わせながら涙がこぼれ落ちてきました。
「ありがとう」って言ってくださるお母さんに、お礼を伝え、今年のお参りを終えて帰路につきました。
車を運転しながら、ぽろぽろと泣きました。
彼女に会いたくて、お礼も言いたいし、謝りもしたい、そう思いながら、泣きながら帰りました。
時間が経ってもやっぱり、悲しいし、淋しい。
時間が経ったからこそ、より、悲しさも淋しさも増すような、そんな気がした祥月命日でした。