農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【脱兼業農家を目指したい】

半農半X(はんのうはんえっくす)」という言葉に出会う。
蓄電池を導入した会社さんから「Smart Life」というパンフレットがとどき、その特集記事が「半農半X」でした。

半農半X」は、京都府出身の塩見直紀(しおみなおき)さんが1995年ごろから提唱してきたライフスタイルのことで、農業で自給自足を目指す傍ら、お金や時間に追われず生きがいのある仕事をして人間らしさを取り戻そうという動きのこと。「X」の部分は、各々の生きがいとなるような仕事が入る。

 

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まさに、ぼんやり私が描いていた将来像。
農家の嫁として、これからの農業と仕事、やりたいことを考えていた矢先の、運命的な出会いかな。

きっかけは、車を買い替える話から。
14年乗り続けている私の軽。
そろそろ買い替えを検討した方がいいのでは・・・。

現在の収入と支出のこと、貯金のこと、子どもたちの教育費のこと、イエのことなど、車にかけられるお金のことを考えていたら、どうしても「農業」の未来が見えてこない。広い土地があって(でもあちこちに辺鄙な場所に歪な形で残っている)、ほんの10年くらい前までは、お米の収入とは別に、減反政策で収入があった。今は、土地を持っているだけで固定資産税がウン十万単位でやってくる。そして、その管理活用について、近隣住民と良好な関係ばかりとは言えないのも事実。(これは、義父のせいだと思っているけれど、口には出していないし、出せない(笑))
農業に必要な大小機械の維持、倉庫の維持、それぞれへの保険料ものしかかる。さらに、肥料代、農薬代、ガソリン代の高騰で、出費が増える一方なのに対し、おいしいお米を作ってもなかなか一等米の評価をもらえず、米一俵当たりの価格は農協に買いたたかれているのが現状。
知り合いなどに個別販売で安く譲っていて、それでも計算すると農協に供出してもらえる金額より少し多めにもらっている程度。それくらい米一俵当たりの価格は低い。おおよそ半年間の肉体労働の対価として考えられていないことがよくわかるし、日本の自給自足率のこと、未来の食の問題について心配になる。

農業取得を従とする兼業農家は、土地を持ち、農業をすることで赤字になる。我が家も例外ではない。だから、兼業農家はほとんど農業から離れていっている。それでも、我が家が農業をやめない理由。
一番は、義父母の手前、やめられないというところが大きい。
すでに私の中で、農業をする目的に「収入」など微塵もないのだけれど、しいて言うのなら、お米を作ること、季節の野菜をつくることが家族の結束を深めるものであり、生きる糧であり、喜びでもあるというところに行きつく。
だったら、今のように田んぼ全部にお米を作る必要などなくて、自分たちが必要な分を丁寧に作り、それでも余れば仲間と共有すればいい。そして、空いた土地は、誰かに貸したり、一緒に作ったり、そういう関係もありなのかなと思っている。
本家だから、農家だから、そういう理由で、たくさんの親戚の万が一の場合まで面倒見る余裕なんてうちにはないし、そういった「イエ」制度が残っているのは、そこに住む人々の意識の中だけなのかな。「一族末裔を守る義務」なんて言っているけれど、一族末裔どころか、自分たちを守ることさえもギリギリ(笑)



仕事で常に考えている「まちづくり」のことと、農業のこと。
土にふれること、何かを育てること、それをいただくこと、すべてが世代を問わずまちづくりに繋がると思っている。そこに、どの立場でどんなふうに関わっていくのか、それはこれからゆっくり考えていけばいいのかなと思っている。そして、難しく考えていても進まないだろうから、やっぱり、やりながら仲間を増やしながら、楽しみながら、気づけばまちづくりに繋がっていたというスタンスが理想なんだなと思ったりもしている。


半農半X
自分がぼんやりと思い描いていた自分らしい生き方、過ごし方。
自分次第ですぐにでも実現可能な環境を、実は手にしていることに気付く。
経済的成功ではなく、アメリ生物学者レイチェル・カーソンのいう、「センス・オブ・ワンダー」、つまりは、人らしい感性を取り戻し、大地と共に、そこに住まう人々が自分らしく生きていく社会、私はそういう生き方を望んでいる。