農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【賢い消費者になりたい】

選挙、終わりましたね。
個人的に、ちょっと期待していたんだけれど、そんなに甘くはなかったな。
そして、一生懸命考えて投票するほど、悔しさだとか心配だとか、虚しさだとかが実感として湧いてくるんだなっていう感じ。
でも、負けちゃぁいられない。

 


休日で、自由を満喫していた土曜日。
選挙に備え、候補者や政党の最後の訴えを確認しようと、新聞をめくっていました。
そうしたら、農協の広告に目を奪われる。
一面使っての意見広告。

 

「いま当たり前にある食卓の姿を、当たり前だと思わないでほしい。」

 

いま、農家が苦しんでいます。

肥料、燃料、飼料などの農業に必要な生産資材の価格高騰。

これは、輸送費や原油価格の上昇、急激な円安、

国際情勢などの影響によるもので、

その負担はあまりにも重く、深く、

安定した経営が困難になるところまで、

農家は追い込まれています。

 

肥料がなければ、生産ができない。品質も保てない。

飼料代が上がっても、その分を価格に上乗せできない。

燃料代やダンボール代が上がれば、当然、利益は減る。

担い手が不足している中、離農者も増えてしまう。

 

農家の苦境がこのまま続くと、

食料自給率の低い我が国の農業生産力は、さらに減退。

もしも食料の輸入がストップするような事態が起これば、

私たちの食卓から、数多くの食材が消えてしまうことになります。

そのような現実が待っているのです。

 

いま当たり前にある食卓の姿を、

当たり前のものだと思わないでください。

日本の食がいかに危機的状況にあるかということを、

ぜひ知ってください。考えてみてください。

それは必ず、私たちの「食」と「農」の明日を守ることに

つながっていきます。

 

できること、やるべきことを、これからもまっすぐに。

JAグループ福岡です。

 

びっくりだよね。農協。
なんだろう、この広告。
すごく違和感を感じてもやもやするんだけれど。
綺麗な写真と、情緒に訴えかける文言で。
「お前がゆうな!」
って、ツッコミをいれたくなるパターン。

農家の苦しみは今始まったことではない。
担い手がいないことも、ずっとずっと前から問題になっていたこと。
農家の苦しみの原因の一端を担っているのは農協だというのに。
(少なくとも、私はそう思っている)

そもそも「農協は、農家の営農と生活を守り高めることなど、よりよい地域社会を築くことを目的に組織された協同組合」ではなかったのか。
農家から搾取するばかりで、守ってくれることはわずかである。
言葉巧みに農家にモノを作らせ、どんなにおいしいモノができても、あれこれと上乗せした金額を請求し、それだけでは決して潤わない。
少なくとも、我が家のお米に関してはそう。
潤っているのはいったい誰なのか。

数多く、面積多く生産させ、そのノルマを果たせない弱小農家にはなんのメリットも感じられない。
組合からの脱退も、結局のところ、煩雑な出資金の返金手続きのため叶わないでいる。


知り合いのブロッコリー生産者の話。
今年はブロッコリーが豊作で、農協に出しても金額が付かないからと、ほとんどを畑に放置。もったいないから好きに取っていっていいよって。
畑を見に行けば、収穫されなかったブロッコリーに花が咲き、一面菜の花畑となってしまっていた。
食料危機だとか危機的状況だとか言いながら、かたやもったいないことをしている。
この矛盾はいったい何なのだろう。

日本の食を危機的状況に追い込んでいるのは誰なのか。
農家を追い込んでいるのは誰なのか。
国際情勢でも価格高騰でもない。
どんな状況になっても、第1産業とそれを担う人々を守ろうとする政策を打ち出さず、生産者の汗の上に胡坐をかいてきた政治家と農協と、それを見過ごしてきた私たちの責任だ。


去年の夏から、ずっとそんなことばかり考えている。
作ったものを農協に供出することが当たり前だった時代はもう終わり。
私は、経済や農協から切り離した農業を実践したい。
私たち家族が作ったものを、目に見えるカタチでやり取りし、作る人と、食べる人との間に信頼関係を築いていきたい。

安い商品には、安い理由がある。
その理由をすこしでも考えられる、賢い消費者になりたい。