昨夕(5日)は、なんだかとても疲労困憊で、
「お母さんは早く寝ます!」宣言をして、
普段よりちょっと早めにお布団に潜り込みました。
寝つきは悪くはなかったんだけれど、
ふと目覚めて時計を手繰り寄せて
時間を確認してみたら、夜中の3時でした。
もうひと眠りしようと布団に潜り込みなおしたんだけれど、
ふと、11月22日の講演会の準備のことが頭をよぎり、
すごくドキドキし始めた。
できてないことや、考えても仕方ないことにばかりに考えが向かっちゃって、
勝手に憶病になったり、不安になったり。
あれこれ1時間くらい自分の心臓の音に耳をすませながら
あっち向いたりこっち向いたり。
で、不安な気持ちに押しつぶされそうになったから、
思い切って頭と足の向きを180°回転させて、ひっくり返って眠りにつきました。
今年はずっと、「今までどおり」が通用しない世の中を突き進んできたと思う。
「今まではこうだった」とか、「みんながそうだから」とか
そんな理由で特に考えなくてよかったことも、
どうゆうふうに進んでいけばよいのかをいちいち立ち止まって、
じっくりと考えなくてはいけない状況が多くありました。
一方で、そんな状況も、時が過ぎれば、
「コロナだから」とか、「他もそうだから」とか
そんな理由で今まで立ち止まって考えていたことを、
今度は立ち止まることさえせず、さらには進むことさえしなくなる状況が生じてきて、
そんな理由で進むことをしない状況を選択するということを
私は正直、受け入れ難く感じていました。
というより、今もそう感じています。
確かに、進まないほうがいい、動かないほうがいいという状況もあります。
でも、動かないときこそ、状況を見極め、情報を収集し、
先の見通しを立て、来るべき時に備えて、力を蓄えて、
その時が来た時に踏み出すための準備期間だと捉えています。
希望を繋げていくために手足を動かして、頭を使って、
触れたものから、楽しみながら脇道にそれながら、好奇心を抱きながら
ここまで進んできました。
根底から変わろうとしている世の中を受け止めていく・・・
大げさだけど、そういう姿勢や努力というものが
自分の世界観を拡げていくのだと思っています。
そんな風に思いながらも、よくよく振り返ってみると、
世の中が変わったり価値観が変わったりしても、
私の中の「大切なこと」「大切に思ってきたこと」は、何も変わらない。
変わっていないという事実。
そしてそれをちゃんと守ってこれたかな・・・
今はそんな気分です。
だから、今進めていることも、一人で抱え込んで心配することなんかじゃない。
信じた道を進んできたんだと堂々と胸を張ってその日を迎えていけばいい。
臆病な私に、もう一人の私が励ましています。
眠れない夜がまた襲ってくるかもしれないけれど、
1人じゃないし、孤独でもない。
だからきっと大丈夫。たぶん大丈夫。いや、絶対、大丈夫。
だから、頑張れ、わたし。