ドイツに在住し、実業家で環境活動家でもある「谷口たかひさ」さん。
彼が6月7日に発信したフェイスブックの記事が、周りまわって、私の携帯にも流れ着いた。
私は、彼のことは知らない。その記事の中で『茶色の朝』という寓話に出会う。
■物語のあらすじ
世界中のどこにでもあるような、とある国の物語。友人と二人でコーヒーを飲みながらおしゃべりをするのを日課にしている男がいた。ある日、主人公は、その友人が飼い犬を始末したということを聞かされる。その理由は、ただ毛色が茶色じゃなかったからだった。その国の政府は、茶色の犬や猫のほうがより健康で都市生活にもなじむという理由で、茶色以外のペットは飼わないことを奨励する声明を発表したばかり。主人公は、自分が飼っていた白黒の猫をすでに処分した後であったが、友人がその犬を始末したことに少しショックを受けた。
時は流れ、二人は日課をいつも通りつづけていたが、小さな変化が起こっていた。人々は話し方を微妙に変え、茶色以外のペットを排除する政策に批判的だった新聞は廃刊になった。それでもたいして変わらない日々の生活がつづいた。友人はあたらしく茶色の犬を、主人公も茶色の猫を飼いはじめた。でもその時には、さらに新しい状況が生まれていた。友人をはじめ、多くの人々の逮捕がはじまった。そして夜明け前-ある「茶色の朝」-主人公の家のドアをノックする音がする・・・。
彼の記事とこの寓話のあらすじを読んで感じたこと、それは、
「思考停止をやめること」
「自分の頭で考えて、自分で動いてみること」
ということ。
意見が合わないことが普通であること、それを認めていくこと、
たくさんの意見の中から、「自分」はどうなのかを考えていくこと、
そのことを発信しているのだと思う。
このことは、コロナの問題で浮き彫りになっただけで、じつは、原発も憲法も米軍基地も、やり過ごしてきたこと、見過ごしてきたことの積み重ねなのかもしれない。
どうせ世の中変わらない、変えられない、というあきらめの境地になってしまったのはいつからなのだろう。
だけれども、ここにきて変わってきているなと思うことは、オリンピック開催反対の署名活動が行われたり、看護師のオリンピック派遣反対を表明したり、そういう活動が行われていることは、結果はどうであれ、一つの意見として表明していくことの大切さを感じさせてくれる。
だから私も、たくさんの人の話を聴いて、「自分」はどうなのかを考えていきたい。
考えていかなければならないと思う。
ここのところ、私が選択している(と思っている)たくさんの対象、そして私のもとに流れてくる情報は、実はこの点で繋がっている。なんの根拠もないけれど、そういうふうに勝手に感じている。
正解があって、そこへたどり着くための思考に慣らされているけれど、
そろそろ本気で正解のない問題を思考する訓練していかないといけなくなっているのだろうな。
田植えで疲れた頭で、今日はこんなことを考えていました。
小難しいことを考えて、眉間にしわを寄せてみても、世の中がどんな状況だろうと、
その時が来れば間違いなく花は咲く。
物事は本当は、いたってシンプルなのだろうな。
ああ、哲学。