農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【なんも わかっちゃ いないけど】

金曜日の夜に参加してきた「ちくほう共育委員会」。


チラシにある4色の風船。
この4つのグループに分かれて交流する。
私は、交流センター職員、まちづくり協議会関係者として、青色の風船「地域の支援」のテーブルで話し合う。
当然、「センターとしてできること」をメインに話が進む。

よそのセンターは、ほとんどが地区内に小学校1校、中学校1校。
穂波は、地区内に小学校4校、中学校2校。
この差は大きい。
でも、この差を言い訳に、これまで、各学校のことを知ろうとしていなかったことに気付かされて猛省。
自分の子どもが地区内の小学校、中学校を卒業していながら、そして、小学校ではPTAの委員会に所属し、中学校ではPTA役員をしていながら、不登校児童、不登校生徒の実情もまったく把握していなかった。
保健室登校があるのか、ティールームのような教室があるのか、不登校の子どもたちに、誰が、いつ、どんなふうに関わっているのか、その保護者のサポートには、誰がどんなふうに関わっているのか、地区内、もしくは、市内近辺にどんなフリースクールがあるのかもよく知らない。

地区内に住む友人が、フリースクールを立ち上げていて、そこの情報はSNSを通じて知っている。
彼女のフリースクールには、市内はもちろん、近隣の市町村、遠くは福岡市近辺からも子どもたちが通ってきている。
こどもたちはのびのびと過ごしているし、親の絶大な支持も得ている。時々、教育関係者の視察もあるらしいし、近隣市町村からは、登校していなくても、彼女のフリースクールに来れば、出席扱いとする認定をもらえている。でも、飯塚市だけは、出席扱いを認めていない。
それはなぜか・・・

その理由についても、今回の交流の中で、ヒントとなるような知識を得ることができて、多方面からの情報や考え方、捉え方の大切さを知る。

話し合い中で、様々な情報を得たり、自分自身のこれまでを振り返りながら、センターとして、地域としてのかかわりを考える。
そうしたら、青色の風船の中にあるコメント、
「子どもたちに地域ができることがもっとあるんじゃないかな?」
という文言が引っかかってくる。
何も知らないこの私に、一体何ができるというのだろうか。

不登校と一口に言っても、
学校に「行かない」と自分で決めたこども、
学校に「行きたくても行けない」こども、
本当は行きたくないのだけれど、仕方なく行っているこども、
学校には行けるけれど、教室には入れないこども、
はっきりした理由がある子もいれば、そうでない子もいる。
ほかにもいろんなパターンがあって、それは複雑だ。

知れば知るほど、ますます、
「できること」なんて、何もない。
そう思えてくる。

ただし、この正直なつぶやきが、思考のベクトルをかえるきっかけとなる。

いわゆる不登校潜在的も含む)と言われている子どもたちは、私に、私たちに、いったいなにを求めているのだろう。なにかして欲しいことはあるのだろうか。
そして、その保護者たちも、私に、私たちに、そして、センター(地域)に何を求めているのだろう。
それを知ることができる場づくりなら、できるかもしれない。
当事者を交えた対話の場、そこからの理解。
そして何より、このステップを踏まずして、「地域ができること」は生まれない気がする。仮に何かが生まれたとしても、それは「してあげる」側からの一方的なアクションであり、「支援」という名の悪意のない悪意なのかもしれない。


2時間みっちり話を聴いて、知識と情報を拾う。
持ちきれないほど拾ってばかりの時間を過ごした帰りに思う。
私は、見たいものを見たいようにしか見ようとしない。
私の眼はふしあなだらけだ。

本当に大切なもの、隠されたものが見えるまなざしが欲しい。
そいうものを見ようとする心が欲しい。

頭が悪くて嫌になるけれど、一人じゃないからね。
心強い人たちに囲まれて、みんなで進んでいく、それが救いだ。