農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【失いかけているものを目の前にして】

田植え機がスクラップ工場に旅立っていった。

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2トントラックに載せる時は、やっぱりエンジンがかからなくて、細工をしてエンジンをかけた。
工場では、トラックからフォークリフトで下ろしてもらい、そのまま敷地奥に連れていかれた。ついに、ほんとうに、離れ離れになってしまった。

田植え機がなくなった機械室は、トラクターが1台だけになった。
ラクターの隣に田植え機があるときは、せまっくるしくて、気を付けて歩かなくては機械に足をぶつけそうだった。
今は、機械室にトラクターが1台だけ。窓から差し込む光で見える機械室の埃っぽさが、寂しさに輪をかける。


子どもたちが機械に乗るのは当たり前だった

こうやっていろいろと身に付けたことがたくさんある

ここ数年は、本格的に機械に乗る

長男だろうが、次男だろうが、同じこと


嘘みたいだけれど、
来年の米作りの予定はなくなった。
隣町の田んぼを使ってくれる人を探す算段が進んでいる。

本当に米作りを辞めるんだ。

まったく実感がわかない。
だから、他人事のように、成り行きを眺めている。

そして今、私のアイデンティティが一つ消えようとしている。
ここで生きるために、もっとも強く確立しなければならなかったアイデンティティ
20年間振り回され、苦しめられ、今だ統合できず悩み続けているというのに、私の中核をなすにまで肥大した「農家の嫁」というアイデンティティが、今、危機を迎えている。

この危機に、もろ手を挙げて喜ぶ自分もいれば、拠り所を失い絶望に近い感情を抱く自分もいる。
望んで手に入れたわけではないけれど、「農家の嫁」というものは、人々の興味関心の対象となり、見方によっては羨望となり、そして、同情も得られやすかった。
内では苦しみながらも、外に向けては、意識的に利用させてもらう自分がいたことも確かだ。
そんなふうに付き合ってきた20年間のアイデンティティが、前触れもなく、心の準備もなく、危機を迎えている。
こんな日が来るなんて、想像をはるかに超えた出来事なのに、現実では、淡々と時間が進み、私の向こう側で話が進んでいる。

どんなふうに折り合いをつけていけばいいのだろう。
わたしは、どんなふうに過ごしていきたいのだろう。

これはまさに、アイデンティティの危機というものだ。