農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【真夜中の雷と明け方の「ありがとう」】

昨晩、ブログを書いていて、誤って全文消してしまった( ;∀;)。
もう一度書こうと思ったけれど、睡魔に負けて眠る。

夜中に目が覚めると、遠くで雷が鳴っていた。
近づいてくるかな?と思いながら、布団の中で、雷を聴く。
青白い光がカーテン越しに届く。
雷は怖いから、できれば近づいてほしくないな。
でも、空にいる雷さんにとっては、福岡県の空なんて、一瞬で駆け抜けていけることだろう。
そう思いながら、青白い光が届いてから音が聴こえるまでゆっくりカウントして、雷の距離をはかる。
・・・はかった秒数になにを掛けたら距離になるんだったけ?
こういうところが私らしいと、笑えてくる。
雷と私の距離がわからなくても、まあ、いいや。
そんなことを考えながら、布団にくるまって過ごす。

夜中に目が覚めて、その後しばらくして眠れることもある。
眠れないときは、本を読んだりすることもあるけれど、ダメだとわかっていながら、携帯に手を伸ばしてしまう。
みなさんのブログにお邪魔したり、ネットサーフィンなんかしたり。
そんななか、何気に見た記事で、ブロ友さんのことを思い出したので、ちょっと残しておこうと思う。

記事の見出しは、

【人生は、努力したり、頑張る必要はなく、ただ「頼まれごと」をやればいい】

というものだった。
「努力したり頑張る必要はなく」というところが気になって、読んでみると、

 

人生というものは、「自分が努力をして、汗をかいて、自己達成目標を立てて、そこに向けて努力まい進することが目的である」と教え込まれてきたけれど、じつは、「頼まれごと」に対して「はい、わかりました」と言ってやっていけばよく、周囲に喜ばれるように生きていくと、人と人との「間」で生きる「人間」になれる

・・・・・

人の間で生きるということは、自分が必要とされているということ
人間の生きる目的は、欲しいものを得たり、なにかを成し遂げることではなく、「人の間で喜ばれる存在になること」「『ありがとう』と言われる存在になること」

・・・・・


ふーん、そうか。
頼まれごとに関しては、できるだけというか、ほとんど「Yes!」か「はい!」の私は、人と人の間で生きていけるようになれるのかな。
続きに目を通す。

発する言葉や表情など、その人のふるまいが「まわりを喜ばせるもの」になっていれば、投げかけた結果として、周りの人があなたにとっての「よき仲間」になってくれる

 

教え合い、学び合い、交歓しあう「よき仲間」に囲まれたなら、それだけで「天国度100%」。頑張りも努力もいらない。ただ、「喜ばれること」を続けていけばいい。
これこそが「人生の目的」であり、「しあわせの本質」・・・


なのだと。

そして、最後に気付いたのだけれど、このコラムは、『ダイヤモンド社書籍編集部からのお知らせ』で、小林正観さんの『ありがとうの魔法』の案内だった。

小林正観」、「ありがとう」のキーワードで、いつもお邪魔している(id:kyokoippoppo)さんのことを思い出す。

私の「ありがとう実践」 - kyokoippoppoの日記

 

ああ、きょうこさんと私は、こういうところで繋がっている、そう感じて嬉しくなる。
きょうこさんは、北の大地、オホーツク海に面した土地に暮らしていて、もちろん、お会いしたこともない。
それでも、こうして大海原に漂うごときブログの世界で、奇跡のような出会いをし、思いがけずシンクロする。

ありがとう!ありがとう!

意図せずこぼれる「ありがとう」

今日はそんなふうに一日が始まって、気が重い会議も無事に終わって、解放感いっぱいの夜を過ごしている。

桃の花が咲き始めたよ