農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【雨の休日に読書感想】

週末ごとに降る雨。
田んぼ仕事の時は、雨降りでもフィールドに出るけれど、畑の場合はムリに出る必要はなくって、家のことを片づけたりしている。
今日は義両親も一日不在。
ちょっとゆっくりさせてもらってもばちは当たらないかな。

毎日ブログを更新していた人の発信が途絶えている。
体調があまり良くなかったのに、地域のために、子どもたちのためにと東奔西走していた人だったから、どうしているだろうかと勝手に心配してしまう。

忙しい中でも、少しずつ本を読んでいる。
たくさんの人がいろんな本を読んで、そのレビューをブログで紹介してくれている。
とても興味深い本がたくさんだけれど、もともと読む速度も遅いし、読書に充てる時間も限られているから、なかなか進まない。
それでも、今月は2冊の本を読んだ。

雨の休日 コメダ


夏川草介著『始まりの木』
この本は、いろんなブロ友さんがおススメされていて、私も太鼓判を押したい!!

この世界には理屈の通らない不思議な出来事がたくさんある。
科学や論理ではとらえきれない物事が確かに存在する。
そういった事柄を、奇跡という人もいれば運命と呼ぶ人もいる。
超常現象という言葉で説明するものもあれば、『神』と名付けるものもある。
目に見えること、理屈の通ることだけが、真実ではない。
”知”の冒険が、いま始まる。



主人公の藤崎千佳は、国立東々大学文学部で民俗学を学んでいる。
指導教官の古谷神寺郎は、足が悪いながらフィールドワークへ出かける、偏屈で優秀な民俗学者
彼らが出かけるフィールドワーク先での出来事が物語になっている。
収められている5つの物語には、どれも科学や論理では語れない柔らかな不思議な出来事が主人公を包む。その語ることができないこととの出会いが、「民俗学」の入り口なのだろうな。

どの話もじんわりと心に残る余韻が心地よかったのだけれど、とくに、第5話の「灯火」で、道路の拡張工事に伴い桜の巨木が失われることになった、そのそばのお寺の住職の言葉を紹介したい。
住んでいる人達が住みやすく、豊かになっていく、そのために伐られる桜の木。
病気で余命いくばくもない年老いた住職の言葉。

昔のこの国の人たちは、美しいとはどういうことか、正しいとは何を意味するのか、そういうことをしっかりと知っていた。しかしどんどん木を切って、どんどん心を削ってきた結果、そういうことが分からなくなってきちまったんだ。わからなくなっただけならまだいいが、途方に暮れて、困り果てたあげく、西洋にならって、なんでもかんでも金銭ずくで計算して、すっかりモノの価値をひっくり返してしまった。

 

正しいことをしていれば金が集まってくるんじゃない。金を稼ぐことが正しいことだというやつらが現れた。他人が何を考え、何に悩んでいるかなんてどうでもいい、俺がどう考え、何に悩んでいるかが一番大事だとういうことになった。結果、世の中じゃ大金持ちと大声を上げる奴らが正しいということになっている。

 

大切なのは理屈じゃない。大事なことをしっかり感じ取る心だ。人間なんてちっぽけな存在だってことを素直に感じ取る心なのさ。その心の在り方を、仏教じゃ観音様って言うんだよ。

 

観音様ってのは、天から光輝く雲に乗って降りてきてありがたいお話をしてくれる特別な仏のことじゃない。心の中にある自然を慈しんだり他人を尊敬したりする心の在り方を例えて言っている言葉だ。昔から心の中に当たり前のように住んでいた観音様を、忘れ始めているのが今の日本人ってわけさ。


だから、、、

 

亡びるね



私が農家の嫁であるからなのか、それとも、空や雲、自然が織りなす風景や草木の美しさに心奪われやすい性質だからなのかよくわからないけれど、この住職の言葉を読んで、なぜかじんわりと涙が浮かんだ。

 

自分の中に、深く、静かな海を持ちたい。

読後、そんなことを願った一冊。