農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【ゴッホ展ー響きあう魂ー】

今日は、こちらにおでかけ。

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いや、まあ、人の多さにびっくり。
平日だから少ないかと思いきや、入り口から若干の行列。
さすが、ゴッホ!!

人は多いけれど、できるだけ人だかりのできていない作品から観てまわりました。
美術館内ではしゃべらないし、大丈夫だと思ったけれど、出口すぐのグッズ売り場が非常に密で、なおかつ、みなさんあれこれおしゃべりしながら過ごすので、ゆっくりじっくり買い物を楽しみたかったのだけれど、足早に立ち去りました。


今回のゴッホ展ですが、世界最大のゴッホ作品収集家、ヘレーネ・クレラ―=ミュラーが開いたクレラー=ミュラー美術館と、ゴッホ美術館のコレクションから52点の作品が展示されています。

ゴッホの作品が後世に伝えられたのは、ゴッホの弟テオ、その妻ヨーの働きが大きかったことは有名ですが、実はもう一人、世界最大のゴッホ作品収集家、ヘレーネ・クレラ―=ミュラーの功績が大きかったということを、今回のゴッホ展で知りました。

ヘレーネの旦那さんは、鉄鉱業と海運業で財をなした実業家なのですが、ヘレーネは、けっして、金に物を言わせて絵画を買いあさったのではありません。
美術評論家の個人講義を受けて美術の世界にのめりこみ、「社会の幸せと喜びのため」に絵画をコレクションし、早くからゴッホの作品に深い精神性を感じ、後世に伝えることを念頭に美術館設立に情熱を注いだ人だったそうです。そして、ゴッホ以外の画家の作品もコレクションしていますが、どんなに有名な画家の、どんなに有名な作品だろうと、彼女自身がその作品に深く共感しなければ、購入しなかったそうです。


ゴッホのことについても少し。

ゴッホが画家を志したのは、27歳の時。
叔父の経営する美術商で名画に触れ、趣味で絵を描くようになったそうです。
37歳で亡くなるまで、10年間で残した作品は2000ほど。
そのうち売れたのは油絵1点のみ。
彼の情熱的な人柄と、そのドラマチックな人生の方が有名だけれど、実は、大変な努力家でもあったことを知りました。

独学でデッサンを学び、毎日田園風景やそこで働く農夫、農婦を描きます。
そして、あちこちと移動しながら、作品を描いていくのですが、その移動の理由も、周囲の人と意見が合わず、だとか、父親と口論して、など、感情的な側面があったことを感じさせる理由ばかりだったようです。

作品を描いては、その絵を美術商をしている弟テオに送り、手紙を添えました。
この手紙が残っていたからこそ、当時のゴッホの状況と作品を、より深く理解することができたのです。
そうして、人物や風景画、静物画から、花を描くようになり、色彩について深く研究するようになります。この色彩の研究とその後の浮世絵の研究により、私たちがゴッホの作品としてよくイメージするいわゆる「黄色と青」が印象的な数々の名作が誕生していったのです。

その後のゴッホは、ゴーギャンとの決裂、耳切り事件、養老院への入院、拳銃自殺と、悲劇的な最期へと向かいます。
養老院入院時代、1日に1~2点の作品を残しており、不安が渦巻く日の作品は、暗く渦を巻く画風で、一方、生きる力がみなぎる日の作品は、明るく穏やかな筆遣いの画風となって残っているようです。

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『サン=レミ養老院の庭』
私が1番印象に残った作品。

ポストカードじゃわかりにくいけれど、
この絵の前に立った時、草花が萌える春の、あの、独特のにおいがしました。
絵画から匂いを感じたのは、おそらく初めて。
高くそびえる木の上に色とりどりの花が光り輝き、未来への希望が伝わってきます。
厚みのあるその絵具に、生きる力を感じました。

「100年後を生きる人々にも届く作品を残したい」
ゴッホのこの想いは、没後130年経った現代を生きる私の元にも届いているのです。