農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【『空白を満たしなさい』 私の中の空白をみつける】

2週間ほど前、市内の複合施設に用があって出かけて有料の立体駐車場に車を停めた。
駐車料金を浮かせるために、施設内にある図書館で本を借りることにした。
あまり時間がなかったので、以前借りた棚あたりに面白そうな本があったことを思い出し、そちらの棚へ。
日本人の小説、著者が「む」のあたりからうろうろする。
そして出会った本がこちら👇。

 


『空白を満たしなさい』 講談社 著者:平野啓一郎

平野啓一郎って、なんだか難しい印象があったんだけれど、『マチネの終わりに』なんていう本も書いてるから、どうなのかなっと思ってパラパラとめくってみる。

主人公は土屋徹生という男。
ある日、目覚めたら会社の会議室にいて、それ以前の記憶がない。
家に帰れば、妻から「あなたは3年前に死んだ」と聞かされる。
さらに、死因は「自殺」だと。
自分を検死した医師に会いに行く。

物語は、こんな始まり方だった。

死ぬ前の自分を思い出す。
愛する妻と生まれて間もない息子、マイホーム購入、やりがいのある仕事。
幸福の絶頂だったはず。
自殺をする理由が思い当たらない土屋は、懸命に記憶をたどる。
会社の屋上、眩しい光、迫ってくる影。
その前の佐伯という男とのやりとり・・・。
自分は何者かに殺されたのだ、あえて言うならば、おそらく佐伯という男に。
そう確信して自らの死の真相を辿るうちに、土屋のように死んだ人が生き返る「復生者」と呼ばれる人々が世界中に存在することを知り、彼らを支援する協会と関わっていく。
自分はなぜ死んだのか、人が生きる意味、死んでいく意味、そして幸福の意味について誰よりも深く理解していく。
はたして土屋は殺されたのか?自殺したのか?迫ってくる影の正体は?


図書館でパラパラとめくった数ページでぐいぐいと引き込まれ、先が気になり、すぐに貸し出し手続きをした。もちろん、駐車場の1時間無料もゲット。
それから、時間を見つけてはページをめくる。
私にしては珍しくミステリー小説を手にしたと思っていたけれど、そうではなくて、生きること、死ぬことをテーマにした著者の哲学的思想を含んだ上下巻に渡る長編小説だった。

上下巻の装丁はこちら。

平野敬一郎氏の「X」より


なんでゴッホ
でも、物語を読めばわかる、この装丁、すばらしい!!
ゴッホって、たくさんの自画像を書き残している。
生前に売れた絵は1枚だけ。
弟テオとの兄弟愛。残された手紙。
そして、ゴッホの自殺。
はたしてどのゴッホの自画像が本当のゴッホなのか。
いや、どれも本当のゴッホではないか。
作品の中では、ゴッホの自画像が一つのきっかけとなってストーリーが進んでいく。


作品の後半では、平野氏の「分人」という捉え方、思想が軸に。
平野氏には、『わたしとはなにか「個人」から「分人」へ』という著書もあるらしい。
この「分人」という考え方は、小説の中で登場人物のセリフをかりてさらりと説明されているのだけれど、それがとても分かりやすく、たしかにそうだと理解できる。

「私」という個人は、様々な人とのかかわりでできている。
「その様々な人とのかかわり」は、私の中で濃度が違う。
とても濃い付き合い、かかわりの人もいれば、ごく薄い付き合いの人もいる。
濃い相手がいて、初めて私の存在が明らかになる。
薄い相手がいて、初めて私の存在が明らかになる。
人によって私を変えていく。
それぞれのかかわりの濃さで、私自身がつくられていく。
そして、身近な亡くなってしまった人との関係。
その関係は、生きていけば薄くなっていく。
でも忘れ去られるわけではない。
自分の中にいる、たくさんの自分。
たくさんの人とのかかわりで生きている自分。
そして、そのかかわりの中で生まれる隔たりや葛藤、受け入れがたい自分。
その自分こそが、「空白」なのかもしれない。
そして受け入れがたい自分を目の当たりにされた時、人はどんな言動に出るだろう。
自分を責めたり、自己嫌悪したり、相手を責めたり陥れたり、、、。
そういった様々な自分が存在することを理解した時、空白は満たされ主人公のように優しく穏やかに、覚悟を持って「生きたい」と願うのだろう。

出版は2012年。
2022年には、NHK柄本佑主演でドラマ化もされているそう。
ぜんぜん知らなかった。


来月の初めに、父の13回忌がある。
父に会いたいと思うけれど、あの大きな手をまた握りたいと思うけれど、小説のように生き返ってもらっては困る。
死んだ人は生きている人の心の中で生き続ければいい。
でも、死んだ人が生きている人の心を押しつぶし、その人生を奪ってしまってはいけない。

もう会えない人と共に生きていくこと、そして、生きてかかわりあっている人との心の距離感を認めること、それを満たしていくことが「幸福」というものなのかな。
そんなことを考える一冊だった。