農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【誰一人取り残される人がいない社会を目指している人たちのこと】

私の知り合いに、自ら事業所を立ち上げて「誰一人取り残される人がいない社会」を目指し活動している人が数人います。

それぞれ専門とする分野は違うのだけれど、この人たちに共通することは、とにかく明るくて、前向きで、勉強熱心。そして行動力がある。常に視線は未来にあって、私なんかは、「誰一人取り残される人がいない社会」って実現不可能じゃないかって思っちゃうんだけれど、それは、「そう思って行動してないからでしょ?」っていうスタンス。

今の自分ができる最低限の行動を続けていくこと、そんな人が増えることで、「誰一人取り残される人がいない社会」って実現できるんだよ!すごいよね!!って、なんかきらきらした表情で語られると、つられて「うんうん、そうだよね!!」ってなるから不思議。

きらきらした表情で未来を語ってはいるのだけれど、見えないところでは、事業を立ち上げてそれを軌道に乗せていくことの大変さ、そして次々と襲い掛かる大小の問題と常に闘っていて、まあどうしてこう困難が絶えないのか不思議に思うし、その困難を乗り越えていく彼らの精神力に圧倒されるのです。

彼らが事業を立ち上げる目的というのは、まったくもって本当に誰かのため。
お金儲けではないし、むしろお金がなくて補助金助成金の申請をしたりしています。いかにしてより多くのお金を助成してもらうか、そしてどこに申請するかということにも多大な時間と労力を要しているし、さらに同じくらいの時間と労力を要して書類を作成しているようです。

そもそも、「自分で事業を立ち上げて」というのは、行政が行っているサービスが不十分だったり、さらには、その不十分なセーフティーネットからさらにこぼれ落ちていってしまう弱者を救う制度がないからという理由がほとんど。そして、こぼれ落ちていってしまう理由にあげられるのは、大抵、貧困や障がいであり、そのことに対する周囲の無理解だったりするのです。

目指すべき未来の社会のために、彼らが学び、修得し、積み重ねた経験や、地道な活動を続けた結果のネットワークというものを、行政は、いとも簡単にぶった切ってしまったり、ひどい場合は「当然、市と連携してやっていくんですよね」くらいの態度をとったりするらしいのです。いや、それ、完全に横取りでしょって、行政側にいる私としては、聞いていて恥ずかしくなるような対応ばかり。彼らは過ぎ去った笑い話として話してくれるのですが、なんだか彼らに申し訳なくて、まったく笑えない私がいるのです。


そういう話を耳にすると、私は歯ぎしりをしながら地団駄踏んで、ぎゅっとこぶしを握り締めたくなるのです。「誰だ!!そんな失礼な態度をとった職員は!!連れてこーい!!」くらいになっちゃいます(笑)。


私も地域拠点となる施設の職員として、地域のためにという想いは持っているけれど、彼らに比べたらなんとまあぬるいお湯に浸かっていることかと思わされます。
コロナ禍となり、届かない人へより届けたいという想いを抱くようになったし、どうしたら届けられるだろうという悩みも持つようになりました。それでも、企画した講座や事業がうまくいってもうまくいかなくても、昇進や降格がない代わりに身分は保障されているし、立場上表立った責任を取る必要も全くない。ぬるいお湯でも、せめて流れが滞ったり淀んだりすることがないようにと、一生懸命に業務に取り組んでいくことしかないのかなと思っています。

誰かのために、よりよい社会のために、きれいごとではなく泥臭く活動している人こそ認められて救われて、生きやすい社会になればいいのに。
そうすれば、一見支援のように見える表面的なかかわりではなく、もっと根本的な支援や具体的な解決策が一般的になっていくのだと思う。そういうところにこそ税金や助成金が多く使われるべきなんだろうなあと、思ったりしているのです。

先日の「堂々巡り」の記事から少し気持ちを落ち着けて、でもやっぱりどうしようもなく呟いてみた休日でした。


これはすももかな。あんずかな。
あんずは「アプリコット」で、すももは「プラム」。
うん、これは間違いなく「プラム」かな。
甘く熟していておいしかったです。

彼らの頑張りが一日でも早く実りますように。