農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【夏のはじまり ~次男の感染~】

日曜日の夕方から次男が発熱。
はじめは37.2℃。
なんだか体に違和感を覚えて、関節が痛んで、試しに熱を測ってみたらしい。

流行りのコロナかも、、、。

全国的な感染拡大。飯塚市も例外ではなく陽性者数は増加中。
若年層の感染が目立ち、市内小中学校の学級閉鎖の報告も増えてきている。
そういうわけで、次男は自室に隔離。
部屋に運んで一人で食べさせた夕食は、普通に食べることができているようで一安心。

夜9時の時点で39.2℃。
余裕の表情だった次男も、ここにきてさすがにぐったりとなる。
水分補給で様子をみる。

海の日で祝日の月曜日の朝。
体温は39.2℃。
朝食のご飯とお味噌汁はいつもより少し量を減らしたけれども、全量摂取。
病院受診のため、すこしでもラクになるようにと解熱剤を服用し、救急外来受診。
PCR検査を受ける。
結果は翌日の午前に電話連絡。

診察が終わって、帰宅してからは、ひたすら眠り続けている。
夕食はおうどんを作ると、全部食べてくれた。
熱はぜんぜん下がらなくて、39.6℃。
解熱剤は本人の体のきつさ次第で、いつでも飲めるよう、枕元に2錠セット。
ゼリー状の栄養補助食品と水分も一緒に。
たぶん、ここが山場だろう。朝になれば熱もいくらか落ち着くはず。

 


案の定、火曜日の今朝は37.6℃。
解熱剤は服用しておらず。
熱が下がり始めると、のどの痛みが出現するようになる。

ここで病院から電話。
PCR検査結果は「陽性」。
今現在は、保健所からの連絡待ち。
他の家族はみな元気。
それぞれ、自宅待機に備え、あちこちに連絡を入れている。

私も、職場や学校、今週予定していた講座のことで、主催団体さんに連絡を入れる。
そして、意を決して一番連絡したくなかったところへ連絡をする。
それは、、、
吹奏楽部顧問への連絡。

実は、24日が夏のコンクールの日でした。
感染拡大の影響で開催が危ぶまれる中、参加にあたり、ある決定がなされたそう。
「14日以降、部員に感染が出た場合、その学校の出場は認めない」、、というもの。

次男の吹奏楽部では、12日の火曜日に陽性反応の部員が出たため、翌日からの部活動を中止。その後も数名の感染が確認されたけれど、14日からは部員の陽性反応者を出さずに週末を迎えることができたので、このまま部活動はできないながらも、コンクール出場には繋げられるのではないかという期待があったのです。

 

ところが、ここにきて、次男の発熱と、陽性反応。
顧問が言うには、次男のポジションは、最も感染の可能性が高い場所だったそう。
週末を迎えた段階で発熱や陽性の連絡がなかったため、「これはいける!」という希望を強く持ったであろう時点での、今回の我が家の報告。

「大丈夫ですよ。深刻に受け止めないでください。」といいながらも、ひどく残念に思い、悔しく思っているであろうことが想像つく。
部員からの感染の可能性は低く、おそらく他のルートからの感染。自宅と学校の往復だけの生活だったので、学校生活のどこかで感染したのだろう。
まじめに検査なんて受けない方がよかったのではないか、なんて考えが頭をよぎったりする。検査なんて受けず、熱が下がってもしばらく大人しくしてさえいれば、何食わぬ顔でコンクール出場はできたかも。自らレッテルを貼る行為をする必要なんてなかったのかもしれない。ああ、でもこれは、よくない考えだ。


コンクール出場ができなくなってしまったことは事実。
そのことは、本人には伝えていないけれど、でもわかっているはず。
3年生にとっては最後のコンクールだったであろうから、なお、申し訳なさが押し寄せてくる。どうしようもないことなのだけれど。
症状が落ち着き、自宅待機が解除される頃は、夏休みに入っている。
コンクール出場の希望の灯を、己が消してしまったことを、次男はどう思うだろうか。仲間たちはどう受け入れてくれるだろうか。

非難されることではないし、責め立てられることでもない。
かといって、優しく声をかけられるのも、なんだか涙があふれてくる。
強く降っていた雨も上がって、セミの鳴き声が響いている。
窓から空を見上げると、青空に白い雲の塊がゆっくりと動いている。
思いがけず重たい気持ちで始まった夏。
次男の夏が、泣いて笑って、仲間と共に心に刻むときでありますように。

 

3年前の稲刈りの時の写真。疲れて甘えながら、裁断されたワラを覗く次男。
どんな未来がみえたかな?