農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【妥協点ではなく 着地点】

センターの私のお仕事が、緊急事態宣言延長のため、動いていません。
動こうと思えば動けるのかもしれないけれど、なぜか、動く気になれない。頭も働かないし、楽しいことも思い浮かばない。
去年の今頃は、「コロナでもできることを!!」って、いろいろ挑戦していたけれど、今は力を蓄える時なのかもしれないな。そんな風に言い訳しています。

力を蓄える・・・・
どんな力を蓄えられるだろう・・・どんな力があるのだろう・・・
そんなことを考えているうちに、
自分にできることってなんだろう・・・自分の強みってなんだろう・・・
とか、いろいろ考えちゃう。
だいたい、こういうことを考え出すと、思考がマイナスになっていく。
ここのところの体の変化だとか、気になる症状とかそういうものも影響して、自分にとっての「妥協点」なるものと折り合いをつけていかなければならないのかなぁ・・・なんて弱気になったりもする。
それで、考えていても仕方ないから、体を動かしたくなって、センターのバタバタ引っ越し劇で片付いていなかったところを、ごそごそ片づけてみたりしている。


そんなちょっといじけてたところに、私の尊敬する「あこがれの君」が偶然センターにやってきて、ちょこっとお話しするタイミングを得る。
偶然なのか、必然なのか、わかっているのか、わかっていないのか、なんとも不思議なタイミングでの登場に、ワクワクが勝手に増すのです。

「あこがれの君」は、若いころから、体の中の病とずっと付き合ってきている。
それがあるから、そして、年齢を重ねてきたから、やっぱりしんどいことも多くなってきている。でも、やれることをやる、できることをする、それだけだよって。
そして、それは「妥協点」ではなく、「着地点」なのだと。

「妥協点」と「着地点」
この響きの大きな違いはいったいなんだろう!!
自分が立っている同じ地点なのに、心の持ちようでその「点」は変わる。
どうせ立つなら、未来に前向きな方がいいにきまってる。そうありたいものだ。

「あこがれの君」の話に、途中から元気をもらい、ケラケラと笑う私を見て、
「笑っていなさい。そのあなたの『笑い』が大事なんだよ」とあたたかいまなざしと励ましをいただいたのでした。

毎日の生活の中で、揺らぐことがたくさん。
でも、揺らぐこと、その揺らぎの中で考えること、そして掴もうとすること、そのことが、「私」というものを形作っていき、厚みを増していくのだと思う。そう信じたい。
揺らぎっぱなしの私を、前後左右に受け止めてくれる人がいつもそばにいてくれる。
本当に、私は幸せだなと思うのです。
人に導かれて、受け止めてもらいながら、着地点目指して大きく踏み出せるのです。