農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【「繋がろう会」に参加】

明け方、強い雨の音で目が覚める。
風も強く吹いているようで、窓にあたる雨粒の音がする。
こんな雨の降り方は、2月のこの時期にしては珍しい気がして、暗闇の中、ぼんやりと雨音を聴いていると、いつのまにかまた眠っていた。
金曜日に1日お休みを取っていたので、月曜日の今日は、盛りだくさんの一日となった。

ところで、、、

『自転しながら公転する』の主人公のセリフ

私はやっぱり誰かと連帯して生きていきたい

私も強くそう思う。
共通の関心、目的意識、共感を携えて、チームでまちづくりをしたいのだ。
だから、日曜日の11時から、「おやじの会・地域団体で緩やかに繋がろうの会」なる交流会に出かけてきた。

この「繋がろうの会」、平成27年に発足。
市内各学校にあるPTAやおやじの会(おふくろの会というのもある)のメンバーが緩やかに繋がって、情報共有と地域活動を行っていこうではないかという趣旨で始まったらしい。
当番校を決めて、年に1~2回集まってきた。
私も途中数回参加したことがあるが、よく言えば交流会、そうでなければ、まあただの飲み会的要素が強かったかな。
コロナでこの会も中断。
コロナ前に当番校を仰せつかっていた某小学校おやじの会が、律儀に約束を守り、この度復活となりお声がかかったのだ。
そして、復活のさせ方が良かった。

この会の発起人世代はいわゆるバブルの世代。
この世代の人々は、いろんな楽しいことを思いついたり、人とつながりを求めて集まるのが好き。
でも、私のような少し下の氷河期世代からみると、彼らはいつまでも、いつでも、そして、ちょっとしたことでも先輩面をする、ちょっとめんどくさい存在だったりする。
言っちゃ悪いが、思い付きで行動するし、あまり先のことを考えずやりっぱなし。
そういう世代がつくったからだと言ってはなんだけれど、コロナが明けた今、「おやじの会」が有名無実になってしまっているところも少なからずある、というのが現状。
それでも、今回の4年ぶりの開催に歓喜し、これまで通り、交流会という名の飲み食いの会で十分じゃないかと主張する発起人世代。

一方で、復活させた学校のおやじの会は、代替わりがうまく進み、ただのグループとしてではなく、PTAの組織の一部としてきちんとした会則を持つ団体へと成長している。
コロナ禍でありながら、面白いイベントの企画運営を行い、実績も十分。

彼らが当番校の今回の会は、ただのだらだらした集まりではなく、各学校おやじの会の取り組みや実績を取り上げ、パネルディスカッションを行ったことがなんともかっこよく、学びの場であり交流の場であり情報共有の場にふさわしい再開となった。

パネルディスカッションの後、会場を移して、飲食ありの交流会となったのだが、ここではっきりと、情報交換と交流を目的とした参加者と、交流という名の飲み食いが目的の参加者とがはっきりとわかれたのが、なんとも面白かった。
前半のパネルディスカッションには参加せず、飲み食いのみに参加している人の多いことよ。
おやじの会のメンバーのほかに、私のような交流センターの職員やら、地元県議会議員、市議会議員も数人来ていたのだけれど、彼らの参加態度も、私から見れば、前述した2つのグループに分けることができた。

まちづくり協議会におやじの会の力は必要で、実際、昨年穂波で結成した「まち協若者実行委員会Academy’s」なるものも、穂波地区内4校区のおやじの会のメンバーから構成されている。
これから先のまち協にとって、彼らの行動力は欠かすことができず、将来的には必ずまち協を運営する役員へと成長していくことが期待されるし、彼らもそういう心持ちでいてくれていると思っている。

これからAcademy’sをマネジメントしていく私にとって、会則を持つにまで成長し、その地区のまち協の協力団体となって活躍している某小学校のおやじの会の存在は、とても心強く、身近なモデルでもある。もちろん、いい話ばかりではないだろうし、むしろそういう中のものでなければ分からない苦労話や抱えている問題点などについても、大切な情報として受け止めていきたいと思っている。
今回、会長と名刺交換、情報交換ができ、繋がろう会の真っ当な目的を果たすことができてとても満足している。

早朝3時から覚醒しっぱなしで疲れたけれど、妙な達成感と疲労感が心地よい日曜日だった。