農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【おいちゃんの死】

勤労感謝の日、おかんから電話。
「〇〇のおいちゃんが亡くなった。」
〇〇は、おかんの旧姓。
11月22日。おかんの実兄が74年の生涯を閉じました。
ここ2年くらいは、いろんな病気で入退院を繰り返していたそうです。
職業柄もあったのでしょう、自分の体調にはひどく敏感、慎重だったようで、すこしでも様子が違うときは、じぶんから病院を受診しており、今回も体調がすぐれずに受診し、そのまま入院、症状の悪化により意識不明が続いた後、亡くなったそうです。

おかんは3人兄妹。
兄と妹。おかんは真ん中。
床屋を営む母(私から見るとおばあちゃん)と、大工の父(私から見るとおじいちゃん)、それに、生まれつき足が不自由だった父の姉(おかんたちから見ると伯母さん)の6人家族だったそう。
おかんが小学6年生の時、大工の父が心臓の病で急死しています。
大工の父の死は、おいちゃんが創り上げていく「父親像」に大きく影響しているように思えるのです。


おいちゃんは、大手製薬会社に就職。
結婚して、娘2人に恵まれ、実家の床屋さんに同居。奥さんは理容師として床屋の母と実家のお店を手伝ってくれていたのです。
仕事人間だったおいちゃんは、製薬会社から医療コンサルタントとして独立。福岡の方に事務所と仮の住まいを構えることとなりました。そうして、次第に床屋の実家には戻らなくなり、家にお金は入れるけれど、その他のことはすべて、奥さん任せとなったのでした。
床屋を続けた奥さんも、金銭的なトラブルを抱えるようになり、長い間のすれ違いは修復されることなく、ついに離婚となりました。


この離婚で、おかんたち兄妹は、実家を失うことになりました。
実家には仏壇があり、実家近くのお寺の納骨堂には、自分たち両親と、子どもの頃一緒に過ごした足の不自由な伯母さんが眠っています。
おかんたち3人は、相談してお金を出し合い、両親と伯母さんの永代供養を行いました。
それから、おいちゃんは、再婚しました。
離婚問題が大変だった時に出会ったそうで、この時期のおいちゃんの心身の支えとなってくれていたようです。
おかんの妹は再婚に反対だったけれど、おかんは賛成したそうです。
再婚後のおいちゃんの晩年は、とても穏やかだったようです。

おいちゃんの再婚相手の方とは、葬儀の時に初めて会ったのだけれど、静かで穏やかな佇まいが印象的で、とても好感が持てる女性でした。
彼女が、最後に骨になったおいちゃんを胸に抱いて、
「やっと連れて帰れる。安心した。」
と優しく微笑んで呟いた姿を見て、結婚生活というものは、お互いを思いやって穏やかにゆっくりと創り上げていくものだということを体現してくれているようで、じんわりと胸が熱くなったのでした。
どんなに激しい人生を送ったとしても、穏やかで温かい空気を感じることができるひとときを最後に過ごすことができたのならば、その人生はより豊かで充実したものとなるような気がしたのです。
誰かを愛し、愛される時間がおいちゃんの人生の最後を彩ってくれたことに、私はとても感動したし、感謝したのです。

おかんもわたしと同じ気持ちになったんだと思う。
「兄を支えてくれてありがとう」って何度も何度も頭を下げて彼女に伝えていました。

おいちゃんが福岡に行ってしまってからは、ほとんど会うこともなく何年も過ぎてしまったし、私の父が亡くなった時にちょこっと会ったくらいで、ほとんど一緒の時間を過ごした記憶はないけれど、おいちゃんのことは、思い出よりは、「愛に包まれて死んでいった人」として私の中に刻まれていくことになるんだろうな。
そんな少しうらやましい生き方をしたおいちゃん、最後に大切なことを教えてくれて、ありがとう。どうぞ安らかに。