農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【縁】

義母は末っ子で、上に4人のお兄さんがいます。
一番上のお兄さんとは18歳年が離れているらしく、義母はやっとできた女の子ということで、とてもかわいがられて育ったそうです。

義母の父親は炭鉱の事務をしていたらしく、住処は炭鉱の長屋だったそう。
父親の気性は荒く、せっかくの夕食時も気に入らないことがあればちゃぶ台をひっくり返し、勤務先から支給された給料も、我がいいように使ってしまい、母親はずいぶんと苦労されたようです。
一番上のお兄さんと、次のお兄さんは教員となり、まじめに働いて給料を母親に渡し、おかげで長屋を出て一軒家を構えるほどになったそうです。
ただ、ずいぶんと苦労されたこともあり、一番上のお兄さんと次のお兄さん以外の結婚については、土地がある家庭のお年頃の娘さんを探し出し、婿養子として送り出したそうです。できるだけ金銭的な苦労をしなくていいようにという母心だったのでしょう。
例にもれず、義母も、土地があり、一番上のお兄さんと縁があった教員(旦那さんの祖父)の長男である義父が紹介され、この地で生きていくこととなったのです。

義母の一つ上のお兄さんも婿養子に行ったのだけれど、我が家との距離が近く、奥さんも気さくな方で、頻繁に行き来があり、私の旦那さんとあちらの息子さんも同じ年頃ということで、いとこ同士仲良く遊んだ記憶があるそうです。

ここ数年は、「お地蔵さん参り」として、義母の実家の敷地内にあるお地蔵さんのおまいりに、義父母と、伯父夫婦で毎月24日に出かけていたし、珍しい野菜が取れたり、どちらかが作っていない野菜が取れたりしたときは、自宅まで届けに行ったり、届けてもらったりしていました。

そういうわけで、つい先日も、その伯母が、シイタケが取れたからと届けてくれました。
発泡スチロールの箱に、もりこぼれんばかりのシイタケが並べてあって、上にそっと南天の葉がおかれている。その心づかいがすごく嬉しくて、お礼を伝えると、シイタケが大きくなりすぎてみっともないけれど、、、と笑いながら少しおしゃべりをしたのです。
それが先週の日曜日のこと。


そんな親戚同士の、近しい同士の他愛のないやり取り。
これは、これからも変わらず穏やかに流れていくのだろうなと、何の疑いも抱いていなかったのですが、土曜日のお昼、そんな穏やかな日常が突如途切れたのです。
普段通り、何も変わらない毎日の営みの中で、お昼過ぎに伯母がトイレに行こうとして廊下で倒れ、そのまま帰らぬ人になりました。
73歳、心不全でした。


知らせを聞いて、理解が追い付きませんでした。

こんなにもあっさりと人は死ねるのだろうか。
棺の中の伯母は、揺り起こせば瞼を開きそうなくらい、ただ眠っているだけのよう。
長く闘病生活を強いられたわけでもないのだから、当然やせ衰えた姿などなく、長く苦しみもがいた険しい表情もなく、ただ本当に眠っているだけの、私がよく知っている伯母の姿。日曜日に他愛ないおしゃべりをした、穏やかな表情そのままの伯母なのに、もう2度と会うことも話をすることもできないのだという現実。
ほんのちょっとした弾みで縁が交わった私と伯母の関係。
そういうことを想うと、本当に不思議で不思議で、そして出会いや別れに、いかに人が無力であるのかということを痛感させられたのです。

会うことのなかった人と縁が繋がることの不思議。
そしてその縁が、自分たちの意志とは全く関係なくある日突然形が変わってしまう不思議。
そんなどうしようもない不思議に振り回され、悲しみながら、広大な宇宙に漂うただ一人の自分として、そのことを受け入れて、今日も私は元気に、そして生と死、出会いと別れを不思議に思いながら生きているのです。

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