農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【多様性を推進するのなら、、、】

センターで講座を開催した場合、参加者にアンケートの記入をお願いしています。
年齢、性別、住んでいる地区など基本情報に答えてもらい、あとは、講座の満足度や理解度などを尋ねています。
基本情報の質問項目は、選択制。該当するところに〇をもらつけてもらっています。
性別:男性・女性
年齢:30代・40代・50代・・・・
満足度:大変満足・やや満足・やや不満・不満
というふうに。
あとは、感想だとか、これからしてほしい講座内容など、自由記述の項目。

基本情報を集める理由は、ただ統計が欲しいから。
センターの催し物はいろいろあるけれど、どんな分野の講座に、どんな人たちが参加しているか、純粋にそれが知りたくて、今後の参考にしたいから。


基本のアンケートを作成するにあたり、よそのセンターのアンケート原案なんかも参考にしました。そしてアンケートを作成した人からアドバイスなんかもいただきました。
特に難しいのが、性別を尋ねる項目とのこと。
アドバイスしてくれたよそのセンターの質問項目には、

性別:男性・女性 ※生まれ持った性別を選んでください

って書いてある。
この※の一文、必要?

聞けば、男性と女性だけでは選べない人はどうしたらいいのか?というご指摘を受けたことがあるのだそう。
なるほどーーー。ジェンダーだとか、多様性だとか、そういうことに配慮していますよっていう※の一文なわけだ。
う~ん、どうなんだろう。。。

悩みながら、結局そのセンターの様式を借りて、アンケートをしていました。
そうしたら、先日、とある団体の推進委員さんがやってきて、※の一文について指摘してきました。
この※の一文は必要なのかと。そして、この※をどうしてつけているのかと。

まあ、簡単ないきさつを話し、この件については、こちらも悩みながら迷いながら手探りの状態であることを正直に伝えました。
すごく不愉快だったのは、この委員さんの上から目線な物言いでした。
まるで「〇〇警察」。
アンケートの文面をメモし、こちらの言い分もメモし、そして一方的にダメだという判断を押し付けてくる。

「講座の話はすごくよかったんだけどねっ」

って意地悪い発言を挟んでくる。イジワル姑みたい(笑)。


推進委員会で、きっと報告するんだろうね。
こんなけしからん事例を見つけました!!
職員の多様性の理解はまだまだです!!
って、鬼の首を取ったように、定例会で報告されて、機関誌に載るんだろうな・・・。

いやいや、どうやって記入を求めたらよいのか、こちらもすごく悩んでるんだよ。
生まれ持った性が男性で、心が女性なら、女性って〇してもらって構わない。
生まれ持った性が女性で、心が男性なら、男性って〇してもらって構わない。
なんなら未記入でもぜんぜん構わない。
あくまで傾向を知りたいだけだから。
よそのセンターのお話などを交えて説明するも、
「それはどこのセンターですか?」
いやいや、どこのセンターとかは、今この問題とは関係ないことでしょう・・・。

そういう背景も説明しても、
「それで、この一文なんですか?この一文は、現在の性を否定した表現ですよね!」
とおしかりを受けるばっかりです。
悩みながらの表現なんだということに、共感してもらってるなんてこれっぽっちも感じられません。
一方的に否定されて攻撃されている、そんな感じです。
だから、その方に尋ねました。

「誤解を招かない尋ね方って、ないですかね?」

もう、私の心の声がダダ洩れです。

そうしたら、その委員さん、ちょっと面食らってましたよ。
「この職員、何言ってんだ、バカじゃなかろうか。それを考えるのがあなたの仕事でしょう!」
そんな顔でした。


「男女平等」だとか、「多様性を認める」だとか、そういうことが認知されてきているのは、この委員さんのように、社会に働きかけてきた結果だとは思うのだけれど、不十分なところを一方的に指摘するだけでは、狭い世界で終わってしまうような気がするのです。ただの自己満足というか・・・。
どうすればよりよい社会になるのか、どうすれば浸透していくのか、「共に考える」ということができてこそ初めて、お互いに多様性が認められるような気がするのです。

これはだめですよって答案用紙に×をつけてその場を去っていくだけではなく、お互いが限りなく〇に近づくためのヒントだったり、参考資料程度は用意してくれてもいいのではないだろうか。
よそでは、こんな尋ね方をしていますよ、だとか、こういうふうにすると自然ですよ、推奨しているやり方はこうですよ、だとか、本当に平等や多様性を推進していこうと思うのならば、ともに考え、ある程度の道筋を見つけられるような関わりというものが必要になってくるのではないかと感じたのです。

市内のあちこちで、同じようなことが起きていることだと思う。
だから、統一した形式のようなものを市に提言するぐらいの勢いがあってもいいのではないかと思ったのです。
その場その場で否定して注意してまわるより、一緒に考え、試して、浸透していくよう働きかけていく。
一方的ではなく、相互的なやり取りこそが、お互いの質を高めていくのだと思うのだけれど。つまりは、対話だよね、対話。



結局、その一文は外すことにしました。
何言っても答えがでないやり取りに、答えを求めているわけではないけれど、なかばうんざり。でも決して開き直りではないんですよ。


「わかりました。誤解を招くので、この一文は外します。
あたらしい別の一文は追加しません。穂波は男性か女性かの二択で尋ねることにします。」
委員さんも、この※の一文が消えることに満足したのか、帰っていきました。

これじゃあ、出戻った感じだよね。
そもそも、選択できない場合はどうしたらいいのかという指摘で始まった論争だよね。
ふりだしじゃん。
私はそれでもいいのです。
性別を尋ねる目的が、講座の内容とどう関係しているかを知りたいだけだから。
厳格に性別を把握する必要はないのですから。


解決はしていないから、多分また同じようなことが、別のところで起こるのだろうけれど、そのたびに委員さんが登場するのだろう。
同じところをぐるぐると回りながら、それでもらせん階段のように上へ上へと上がっていけるのならばいいのだけれど、きっと今のやり方では、無理かもしれない。
ぐるぐると回りながら上昇気流をえがいていけるには、いろんな人を巻き込みながら、対話をしながら、手を取り合って信頼し合ってじゃなければ厳しい気がします。

批判するだけ、正義を振りかざすだけ、批判された方はそれを取り消すだけ、批判されないように取り繕うだけ。
それだけではない、もう一歩先の世界へ、私は進みたい。