農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【九州国立博物館 「琉球」展】

台風接近中の福岡です。
雨は降っていません。
風が少し強くなってきました。
今回の台風は、福岡では、「風台風」になりそうです。


8月の出勤日数が規定より多かったため、月末で調整しました。
思いついていったところは、、、

 


九州国立博物館琉球」展。
着物を着ていきたかったのだけれど、あいにくのお天気だったので、仕方なく洋服で。

沖縄の歴史は大きく次のように分けられるようです。
①先史時代 ②古琉球 ③近世 ④近代 ⑤戦後
今回の展示構成は以下の通り。

Ⅰ:万国津梁 アジアの架け橋

Ⅱ:王権の誇り 外交と文化

Ⅲ:琉球列島の先史文化

Ⅳ:しまの人びとと祈り

Ⅴ:未来へ

琉球時代、近世琉球王国の時代の沖縄は、中国や東南アジア諸国、そして日本と活発に交易をおこなっていたようです。それぞれの文化を見事に融合させた琉球の芸術文化というものに圧倒されました。


これは「黒漆貝尽螺鈿漆絵硯箱(くろうるしかいづくしらでんうるしえすずりばこ)」。
ここのコーナーだけ、撮影OKで、思わず撮ってしまいました。だって、こんな模様の漆の箱は、絶対に南の島じゃないと得られない発想だと思う。もしこの箱を、江戸のお殿様や京都の御所の人々が見たのなら、その驚きようはいかばかりだっただろうと、勝手に想像して頬が緩んだのでした。


琉球王国は、日本と清国の両属的地位にありながらも、両国との貿易を盛んにおこなっていました。明治の時代になり、政府は、琉球王府の施政が時世に合っておらず不都合も多いとして、廃藩へと動きます。琉球に対し、清国との絶交命令を出し、当時の国王尚泰首里城より退去させ、琉球王府を廃止。これにより琉球は明確に日本領となり、沖縄県へ改組されました。
これに対し、もちろん清国の反発もありましたが、日清戦争で敗れた清国は、この時に琉球を日本の主権として認めざるを得なくなったのです。

大国の属国という立場にありながら、その存在感は十分であっただろうということは、展示された品々から想像できます。琉球国も、それぞれの国の芸術や文化を尊重し、取り入れ、そして他国とも共有する。
これは懐の大きさがなせる業なのかなとも思ったり。
大国のはざまで生き抜く知恵とでもいうのかなと思ったり。
広い海原と明るい陽射しが降り注ぐ南国ならではの特性なのかなと思ったり。


沖縄復帰50周年記念としての特別展「琉球」。
復帰50年といっても、沖縄の抱える問題は複雑です
ただ、今回のような展示を通して「琉球」の歴史を知り、その文化に触れることで、かつて栄えた「琉球」の歴史、文化を未来に繋げていくことが最も大切なことなのだろうなと感じました。

さて、まもなく夜7時になります。
センターは12時に避難所開設になりました。
防災無線で、明るいうちの避難が呼びかけられ、夕方から次々に避難者が来ました。
受付対応が先ほどひと段落。
今日は私は自宅待機なので、ここでいったん帰宅します。
明日早朝から出勤時間帯にかけてが、最接近となりそうです。
みなさんもどうぞ備えてお過ごしください。