農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【義母とだんなさんとわたし】

今日は仕事帰りに買い物によって、日用品などを買いそろえて帰宅。
勝手口を開けると、台所に灯りがついていて流しで水を扱う音がしている。
義母が何か作っているのかな?と思い「ただいま」と言いながらのぞいてみると、なんとそこにいるのは旦那さん。なんだか一生懸命洗い物をしている様子。

旦那さん、いつもは帰りに田んぼに寄るのだけれど、今日は直帰したらしい。駐車場には軽トラがなかったので、おそらく義父母は畑にでも行っているのだろう。それにしても、どうして旦那さんが台所に立っているのか不思議に思っていると、
「とにかく散らかっていて汚くて、片づけていた」とのこと。
「ああ、だいたいいつもそうだよ。片づけないと夕飯準備に入れないんだよ」
笑っていう私に、旦那さんはちょっとイライラした様子でテキパキと洗い物をし、ダイニングテーブルの上を片づけている。

タイミングが悪いようで、今日に限って、義母がカボチャをつかった料理を一品作ってくれていたみたい。途中つかったであろうボウルやフライパンが洗われることなくそのまま置かれているし、朝の神様のお神敷、仏様の仏飯器なんかも洗ってはあるけれど、無造作に置かれたままになっていたとのこと。それはいつものことなんだけれど、そう言っちゃうと、火に油を注いじゃいそうだったから、黙っておいた。

 

義父母が帰ってくると、旦那さん、義母に、
「なんであんなに散らかしたまま出かけるのか」
と、文句を言っている。
ところがどっこい、義母は、ちょっとびっくりした様子で、
「散らかってたかね?」と。
あれもこれも、こうなってた、ああなってた、全部僕が洗って片づけたと、イライラした様子でいう旦那さんに対し、義母は、珍しく不愉快そうな顔して、
「そんなひどい言われ方をせないけんほどはなかったと思うがね」って言ってた。
絶対義母の方がうわて。やり取り聴きながら、そばでドキドキしながらも、ちょっとおもしろがってる私。

「片付いている」とか「心地良さ」って、ほんと、主観的なものだと思う。
少し乱雑にモノがある方が落ち着くっていう人もいる。
後で一度に片づけようと、そのままにしているパターンだってある。
旦那さんの片付いているイメージと、義母の片付いているイメージとに、大きなギャップがある限り、これは無駄な言い争いにしかならないって、横で聞いてて思った。

モノが出っぱなしになっていても苦痛でない人は、モノが片付いていることにもあまり頓着しない。同居生活も15年以上になると譲歩しっぱなしであきらめているところもある。女の城でもある台所を、義母は私に開け渡したつもりでいるだろうけれど、今日のように気まぐれに台所を楽しむ義母のために、私は手を加えることは一切していない。本当は取っ払ってしまいたいものがほとんどなのだけれど、そんなことは一切せずに、台所に立っている。だから、台所はいまだに、私の陣地、テリトリーにはなっていなくて、一方、片づいていようが、片づいていまいが、義母は自分のやり方で台所と居間を使っているのである。
それはそうと、旦那さんが、片付いていないことに多少なりともイライラしたのなら、それはたぶん、母との環境より、妻との環境に慣れてきた証とでもとらえておこうかな。

長らく身に付いた習慣というものは、そう簡単には変わらないし、変えられるものではない。本人に自覚がなければとくに。義母と旦那さんと、私、時々義父の「主観的片づけ攻防戦」、続きはあるのでしょうか?!