農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【10年ほど前に手放したプライドの話】

10年ほど前に手放した、自分のプライドの話。

大学を卒業して、専門職に就きました。
病院勤務となり、新米ながらも充実した日々を過ごしていました。
地元北九州市の病院に勤務後、旦那さんと結婚して山口へ。
そこでも病院で勤務していました。

仕事が好きでしたし、学ぶことが好きでした。
やりがいを感じていたし、当時の院長の「出向く医療」という方針に共感して、地域の病院職員と専門科や職種を越えた勉強会や交流にも参加していました。
これは、今では珍しくないことなのかもしれませんが、今から20年ほど前では、「地域医療」や「包括支援」といった考え方は新しかったのではないかなと記憶しています。

その後長男を妊娠し、出産。産休と育休を経て現場復帰。
それから1年後、同居生活スタートのため、仕事を辞めて福岡に戻り、農家の嫁になりました。
病院に再就職しなかったのは、2人目の予定があったから。
そして何より、同居生活と長男の嫁、農家の嫁、本家の嫁というプレッシャーがあったから。
当時は旦那さんの祖母も健在で、妹も独身で一緒に生活していました。
2歳の子を抱えて、全く知らない、知り合いのいない土地での生活が始まりました。

このころの私は、今のような陽気なエネルギーはなかったかな。
多分別人だったろうな。
何をするにも自信がなかったし、余裕もなかったように記憶しています。

子育てが落ち着いて、もし仕事をする機会があるのなら、また専門職に戻りたい。
いつもそう思っていました。
子どもたちが幼稚園に入園するころには、もしかしたら求人があるかもしれない、あるといいな、そんなふうに思っていて、現役の頃に使っていた専門書や、当時大切にしていた資料など、段ボールにまとめて、押し入れの奥にしまっていました。


当時の私のことを振り返ると、同居生活と、子育てによる閉塞感を満たしてくれていたのは、これまで専門職としてやってきたという自負心、自尊感情だったことは間違いないのです。今思い出すと、なんと危ういものであったのかと、恥ずかしくなるのだけれど、そうやって何かカタチのないものにしがみついて、過去に逃避し、現状を受け入れられないということが、日々の生活や自分自身の生き方に影を落としているということに気付くことはなかなかできずにいたのです。

そうやって、過去の自分を押し入れの奥にしまったまま10年ほど経ったある日、その日は本当にある日突然やってきたのです。
もう、医療の現場に戻ることはない、ということがなんとなくわかったし、仮に戻ったとしても、10年前の資料は、なんの力にもならないだろうということもわかりました。そして、過去のものよりもこれから取り入れていくもののほうが、はるかに重要であるということもなんとなくわかったのです。

やっと、押し入れの一角を占めていた段ボールとお別れすることができました。
決して過去を否定するわけでもなく、過去にすがるわけでもなく、新たなスタートをきるきっかけとしての儀式のような作業でした。
段ボールとお別れすることが、これからの自分に、マイナスの影響もこれっぽっちも与えないということ、普段見えないところにしまってあったものの場所を、自分の心の中に変えただけ。
ただそれだけに、10年かかったのです。


それからはまるで、段ボールが道をふさいでいたかのように、流れが変わり、いろんな出会いといろんな可能性に触れることになりました。
こうやって、今の職場に繋がるきっかけとなったことも、まさに10年前の出来事からで、自然の流れに身を任せるということで、意識の変容がなされて、運や縁が向こうから流れてくるようになったように感じます。そして、流れてくるものを逃さない行動力や直感力、そういうものを今養っているように感じています。


専門職を続けることが、親孝行だと思っていました。そのために大学に通わせてもらっていましたから。
でも、学んだことは知らない間に仕事以外の実生活でも役に立っているし、自分らしく生きること、日々幸せを感じながら生きることが何よりの親孝行だと思っています。
すべての選択がこれまでの自分を創ってきたし、行動の結果が未来を創っていくのだという確信もあります。
過去ではなく未来のための行動の小さな一歩が、段ボールを手放した瞬間だったのだろうな。

 

これが、私の手放したプライドのお話でした。
お付き合いありがとうございました(笑)。