農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【なんもやりたくない病を公言された】

「なんもしたくないばっかりなんよね」
と義母がいう。
それから続けて、
「遊びに行くときだけは我先に出かけるけどね」


今年の夏は特にそう。
畑のことも、家のことも(これはもともとだけど(笑))、ほんとになにもしないことが多かったように思う。
年齢的なこともあるのだと思う。
先日実家のおかんにこのことを話すと、
「その気持ちよくわかる」
っていってたもんな。
老いるということ、その現象の一つなのだろうなと感じたしだいです。


「なんもしたくない」気持ちのまま、せざるを得ないことをすると、その気持ちがそのまま表れるように思います。
だからかな、お彼岸のおはぎをつくるのに、餡子を練ってくれていたけれど、練りが足りずにすごく柔らかい餡子ができてました。
その餡子でおはぎを作らなくてはならなくて、ぜんぜんまとまらずに悪戦苦闘しました。

夕飯の準備に関しても、以前は、私が朝材料を切って冷蔵庫に入れているものを見て、煮炊きをしてくれていたりしたのだけれど、この夏からはほとんど手付かず。
台所の断捨離をずっと我慢しているのは、使い慣れた台所でできるだけ台所仕事を頑張ってもらいたいからなんだけれどな。
家の中だけではなく、畑もわりと放置してる日が多くて、ちょっと心配になるくらいでした。


フルタイムで働いている私。
この夏は、仕事と畑とイエのバランスでずいぶん悩みました。
そして今も悩んでいます。
畑仕事が好きだし、いろいろと挑戦したい気持ちがあって、そして、困ったことに、まちづくりの仕事にもやりがいを感じているのです。
まちづくりのほうは、常に挑戦です。
走り始めてしまったからには、、、という感じの状態で仕事をしているので、正直自分のキャパを越えて物事が進んでいくことに不安さえ覚えることもあります。
私の実力不足で残酷な現実をありありと見せつけられる現場にちょっと怖気気味な今日この頃です。
イエのことは、掃除洗濯はもちろん、老いていく義父母と育っていく子どもたちと、変わらない旦那(笑)、ますます古くなっていく家のことなど、気になることばかり。
どれかにウェイトを置きすぎると、それはそれで楽しいのだけれど、バランスが崩れると、しわ寄せはなぜか全部この私。どうしたものかと悩み続けています。


義母の「なんもしたくない病」もあって、ワークバランスだとか、これから先のことなんか、考えても仕方のないようなことをただ漠然と思う時間が増えました。
義母も「なんもしたくない」なりに、頑張っているんですよ、たぶん。
毎晩栗をせっせと剥いて保存しているし、もちろん選別したり仕分けしたり。
そしてやりたくないもんだから、家族全員を動員してやり過ごそうとする(笑)。
ある意味、私にはできないその強引さがうらやましい。


義母の、
「お風呂の洗剤がなくなったよ」
だとか、
「○○さんのところに持っていってね」
というお願いににこやかに応じる自分。
旦那さんの
「ハンドソープの詰め替えがなくなったよ」
という一言に、
「気が付いた人が買いに行けや!」
「ついでに他の日用品もチェックして買ってこいや!」
と言いたい言葉をぐっとこらえて大人な対応をする自分。
米研ぎ当番が夜の仕込みを怠って、ご飯が炊けていない朝に動ずることなく順応している自分。


さあ、おりこうさんな私。いつまで保てるでしょう?
少しずつ少しずつおりこうさんを卒業して、私も「なんもしたくない」病を公言するのはどうだろ・・・。
公言するころはもしかしたら、今の義母と同じくらいの年齢かも(笑)
そうやってこの国のおんなの人生は巡っていくのかもしれないね。
そして私の場合、公言しても、おそらくやらなくちゃならないし、やっちゃう性分なんだろうね(笑)

私が捨てるまで、いつまでもそこにある「カボス」。
最初は取ってあるのかと思ったけれど、この状態になるとさすがに、、、ね(;´д`)トホホ