農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【米作りの原動力を得る】

住んでいる地域の生産組合。
加入している農家の戸数は変わらなくても、実際に農業に従事している戸数は、激減。
よその地域の人に作ってもらっているところもあったけれど、いよいよ高齢化と後継者不足で、土地を手放す農家が増えてきている。

まさにこの夏も、近所の田んぼがまとめて住宅街になる話を耳にした。
3軒分の農家の土地、合わせてどれくらいの広さになるのだろう。小中学校の運動場くらいはあるだろうな。
その土地が区画整理され、なんと35戸の住宅が建つという。
同じ広さでも、一戸でも多い方がきっと住宅会社も潤うのだろう、計画案として作られた図面を見て、圧倒されてしまうと同時に、我が家に残る田んぼや畑を今後どうするのか、そろそろ明確な判断を下す時期に来ていると感じてしまった。



そんなこんなで、これからできること、しなければならないことをゆっくりじっくり考えている。
田んぼを田んぼとして、畑を畑として維持していくには、やはり作り続けることが一番。放置してしまうことは簡単だけれど、管理が行き届かなくなる。
そんなに広大な土地ではないけれど、作り続けるため、維持していくためにはやはりお金は必要。だけれども、それで誰かの給料を支払ったり、儲けを考えているわけではないので、田んぼが田んぼとして、畑が畑として残り、そしてそこに関わる私たち家族が負担なく過ごせればいいだけのこと。そんなふうにとらえている。

小さな規模で、ちょっとずつ作ったものを農協に出していても、潤うのは農協ばかり(と勝手に思っている)。主力のお米も買いたたかれ、農協の買い取り価格を基準に考えていては、弱小兼業農家が、汗水流してお米を作り続けることはなかなか厳しい。
野菜に関しても、よその農家さんとだいたい作っているものは同じで、同じ時期に同じものが採れる。そうすると少しでも安く市場に出すことになり、価格競争が厳しくなる。
そんなことを考えると、独自に販路を開拓することが最善の策な気がする。
かといって、儲けてやろうなんて思っていなくて、規模も大規模でない分、少人数の顧客に喜んで食べてもらうことが一番大事になってくる。顔が見える関係というのも、作り手のモチベーションに大きな影響を与えそう。
応援してもらって、それにこたえていく形が理想で、できた生産物に対しても愛情を持ってもらえる、できなかったことに対しても理解を示してもらえる、そういう信頼関係みたいなものがもっとも重要であることに、なんとなく気付く。


そんなことを考えていたら、さすがは九大大学院農学研究院助教の佐藤ゴーシ先生。専門は農業経済学ということもあり、「CSA」という言葉と概念を教えてくれる。せっかくなので、少し勉強してみると・・・
日本では、1970年代以降、有機農業運動として「産消提携」が広まって、その理念が「TEIKEI」として海外に紹介され、アメリカで誕生した「Community  Supported  Agriculture(CSA:地域支援型農業)」の起源に影響を与えているそう。
CSAは、『農家と消費者が連携し、前払いによる農産物の契約を通じて相互に支えあう仕組みのこと』で、ヨーロッパ、とくにフランスでは、
『「AMAP :(Association  Pour  le  Maintiend'une  Agriculture  Paysanne)農民農業を支える会」という名称で、一人の生産者と消費グループが結ぶ定期購買契約のこと』とあり、『小規模な家族農業支援の意図が強い』とある。
自分が求めているもののイメージがAMAPに近いという印象を持ち、世界中でこのような動きがあることになんだか安心感をも得てしまった。
―参考文献ー
「CSA(地域支援型農業)導入の手引き」 
 国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構 農村工学研究所 平成28年3月

 

世界の農業従事者が置かれている環境というのは、やはり、厳しいものがあるのだなという実感とともに、進んでしまった地球温暖化の影響は深刻で、度重なる大雨や季節外れの長雨、あちこちで起きる地震、台風の大型化は、日本のいたるところでたびたびニュースとなっている。
加えて、日本の土地を、中国の富裕層、資産家が買い占めているというニュースも、いつの間にか知らない間に、日本に居ながら日本ではなくなってしまうようで、不穏になる。自分たちの食べるものを自分たちで作ることの大切さ、そして、直接生産することができなくても、何らかの形で緩く、生産者や生産現場と繋がっていることが、これからの時代、すごく重要になってくるような気がしてならない。


そういうわけで、稲刈りが終わり、今年のお米が無事に確保できたのなら、この恵みを誰とどんなふうにシェアしていくのか、準備をしている。
これまでの習慣を変えることは勇気がいる。
不安もあるし、エネルギーも消耗する。
でも、ちょっとしたきっかけで動き出すし、動けば以外にうまくことがすすんだりもする。実際に、うちのお米を食べたいと言ってくれる人がいて、作物を育てることを尊い仕事だと理解してくれる人がいる。育ったもの、育てたものを、正当な妥当な金額で消費することで、農や食を守ろうとしてくれる人がいる。なんとありがたく、心強いことだろう。
そうして、図らずとも、そういう人と出会い繋がれるということは、私自身、これからの生き方、暮らし方の方向性を定めていく時期にきているんだということを実感させてくれる。


不安や心配もないことはないけれど、それよりもなんだかわくわくした気持ちの方が強い。自分の感覚を信じて、とりあえず、歩いてみようと思っている。そして、歩きながら道を選んでいけばいいと思っている。
大地に立って土に触れ、自然と共に、仲間と共に。



ここからは、オマケです。

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2枚の写真は、どちらも2年前。台風で稲が倒れてしまったときの稲刈りの様子と、ウンカという害虫に吸われて枯れてしまった田んぼ(もち米)の様子。

 

動画は去年の稲刈りの様子。
いろいろあるけれど、長男の頼もしい姿をみていると、やっぱり米作り、とくに稲刈りの喜びは特別だなと思える、そんな動画です。
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