農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【ジレンマ】

お米作りは、親子兄妹みんなで協力して続けてね

 

義母にそういわれています。

義母は、来客との会話の中で農業の話になると決まって、

みーんなで一致団結してしよります!!

 

って、にこにこしながら話しています。

 

まー、みんな仲良くて、うらやましいですね!!

 

そう言われてますますにこににこ顔になっています。

 

でも、私、そんな様子を横で見聞きしながら、ここだけの話、少ししらけた気分になるんですよ。
「一致団結」なんて言葉、好きじゃありません。
団結っていう言葉は、なんだか心理的に縛り付ける印象がして、好きになれません。
気を付けて、意識してみんな集まるようにしなくちゃいけない、その役を押し付けられているようで、とても苦しくなるのです。
そんなに無理して集めようとしたり、集まろうとしたりしなくてもいいんじゃないか。やりたい人が適当にやってきて、それぞれができる仕事をして解散する。
田植えだけに限らず、いつでもどんな時でも気負わずに過ごせたらいいのに。

そんな私の想いはとうてい言葉にできず、「その日」に向けて、私の忙しさと気ぜわしさといらぬ気の回しようはますます加速していくのです。


田植えや稲刈りは、一大イベントです。
人を呼んだり、集めたりするのに絶好の機会です。
そして、集まった人たちの結びつきを強くするのにも絶好の機会でもあります。
人を集めるためのそれなりの理由があって、その理由が1年間の米の保障なら、手伝いの内容はさておき、集まって損はないわけなのです。

確かに一つの大きな行事ではあるけれど、私にとっては、それはあくまで、日々の暮らしの通過点に過ぎないのです。
無事に田植えを迎えられるように、苗を育てたり、圃場を整えたり、田植えが終わった後も、毎日のように水路と田んぼを見廻ったり。
畦に草が伸びれば刈るし、田んぼの中にヒエが生えれば抜くし、日々の暮らしの中に、田んぼや畑の仕事が流れるように組み込まれいるのです。
田植えに向けて、稲刈りに向けて、日々の仕事は少しずつ流れが変わっていくのだけれど、それは田んぼだけではなく、畑のあれやこれやの都合も踏まえた生活のリズムなのです。
そのリズムに合わせて人が集まったり解散したりしてくれるのが何よりなんだけれど、それは到底かなえられない理想なのでしょうね。理想というより自己満足の世界かな。



「一致団結」といいつつ、旦那さんの弟一家は、関東地方に住んでいるため、お手伝いには来れません。
田植えだからとか、稲刈りだからといって、何かしらアクションがあるわけでもないし、季節の挨拶もありません。なにか用事があるにしても、義母の携帯に直接連絡があるし、たまに家の電話にかけてきたとしても、お互いの近況確認もろくにせず用件のみで終わる始末です。
それでも定期的にお米を送っているし、季節の野菜が取れれば一緒に送ってます。
こんな状況であっても、「一致団結」なんだろうか、、、。私の中で、不思議に思う気持ちがむくむくと涌いてくるのです。そうして、一人、嫌な気分になるのです。
だからといって、仲が悪いわけではなくて、弟一家がたまに帰省した時は、やっぱり兄妹だから、旦那さんも妹も嬉しそうだし、私も含め、みんなで楽しい時間を過ごしているのです。



ことさらに「仲良く」だとか、「団結して」だとか言う必要なんてない。
兄妹だからとか、親子だからといって縛る必要はない。
やりたいことをやりたい人がやりたいようにやったらいいって思っています。
今回みたいに、お手伝いに来たいという旦那さんの同僚家族も大歓迎だし、体験してみたい人がいれば、同じ空の下、同じ空間を過ごせばいい。
そのために、そのことがイベントとして扱われるのではなく、日常として扱われることで、私は私のやり方で、私が心地よいと思えるペースで過ごすことができる。
季節に追われることはあるにしても、暮らしの中に農業がある生活を営む上で、私が私らしく過ごせることは、とても大切なことだと思っています。

義母の想いもわかるけれど、私は自分のために、農業を続けていきたいと思っています。
そしてその恵みを、想いを同じくする人とシェアしていきたいと思っているのです。
農業が、家族の結びつきを強くしていた時代もあったでしょうが、これからはたぶん、家族に限らず人と支え合うための手段になればいいなと思っています。


お米作りは、親子兄妹みんなで協力して続けてね

義母の希望に沿いたい想いを抱きながら、価値観の押し付けに反発する気持ちもあります。
皆で作業をする喜びも知っているし、人が集まる裏方の苦労もわかります。
「非日常」に踊らされる自分のことも知っているし、「非日常」がもたらしてくれるいろどりもわかります。

心地良い達成感となかなか抜けない疲労感とを味わいながら、多分、すべてが自分の思い通りになる時まで悩み続けるのだと思っています。