農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【残り時間を計算してみる】

今日は朝から強い雨
明け方から遠くで雷が鳴り響き、幾度とない青い稲光で目が覚める。

 


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昨日採れたイチジクと柿。
栗も落ち始め、秋が確実にやってきてる。

夕食後、それぞれがたくさんある中からおいしそうなイチジクを選ぶ。
みんな真剣。そして、誰かが選んだものを手にするたびに、
「それ絶対美味しいね!」
だとか、
「それとこれと、迷ったんだよね~」
「こっちの方が美味しいよ」
なんて比べっこしながらみんなでイチジクにかぶりつく。
そしてふと思い出したのが、実家の母がイチジクが好きだということ。

実家は、気軽に届けようと思えば届けられるぎりぎりの距離。
栗でもイチジクでも柿でも、ふらっと行こうと思えば行けるのだけれど、仕事があったりほかのことを優先したりして、気が付けば母のことは一番後回しになっている。

そんなことを思ったのは、友人が親の看病のために仕事を辞める決断をしたから。
その方のお母様は85歳。ものすごく元気で、活動的で、思い立ったら一人でどこにでも出かけ、毎日を楽しんでいらっしゃる、そんな方。
ただ、お盆のころから体調がすぐれず、かかりつけ医から総合病院を紹介され、一通りの検査をしたところ、おそらく癌だろうけれど、その場所も大きさもはっきりわからないとのこと。肝臓や胆管のあたりだと思われるので、入院してもっとしっかりとした検査をすればわかるかもしれないが、それに伴うリスクを説明されると、そうすることが果たして良いのかどうか本人も家族も悩んでいるとのことだった。
その話をきいてから間もなく、彼女から、
「原因のわからない具合の悪さは、母も私も不安だから、検査を受けて、前向きに治療に取り組むように決めた。できることをできる限りしてあげたいから、仕事を辞めることにした」
と連絡があった。
彼女には、まだ小学4年生の甘えん坊な男の子がいて、旦那さんのご両親と同じ敷地の別棟で暮らしている。旦那さんが教職員ということもあって忙しく、ほぼワンオペ状態で子どもたちのことだけでなく、高齢の義理の両親のお世話もしている。それに加えてパートとはいえ、フルタイムで仕事をこなしていたのだから、本当に頭の下がる思いなんだけれど、優先順位を考えたときに、時間を縛られる今の仕事が一番足手まといになったとのことだった。

そんな話をきくと、実家の母と過ごす時間は、自分が思っているよりもずっと短いのだと思った。
母に会いに行ったとしても、一緒に過ごすのはせいぜい2,3時間なもので、それが数か月に1度だとしたならば、時間にすれば、1年間に24時間にも満たない。そうやって考えると、母の寿命があとどれくらいかはわからないけれど、それでも、日にちにすれば、数日分しか一緒に過ごせないことになる。いるのが当たり前で、いて当たり前。後回しにしても大丈夫なのは、母が元気でいてくれるからで、私はその、「後回しにしても大丈夫」な環境にどっぷり慣れきってしまっている。
いくつになっても甘えてばかりだな。一緒に過ごせる時間というものは、限られるものなのだから、後回しにせず、会える時に会いに行く努力はしなくてはならないなとちょっと反省しながら、もうひとつ、おいしそうなイチジクを選んで食べた。