農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【支援の形について考えてみた】

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このニュース、本当に残念。
コメント欄なんかに目を通していたら、本当に悲しくなってしまう。
支援は、支援する側の自己満足で終わらせては絶対にいけないと思う。


地震や豪雨災害で、一般の人が被災地にボランティアに行ったり、物資を送ったりすることが普通になったように思う。
なんとか力になりたい、困っている人を助けたい、そういう思いは誰もが持っているのだけれど、実際に行動に移すときに、やはり配慮が必要だということには、なかなか思いが及びにくい。でも、この記事にあるように、せっかくの善意が台無しになってしまうことが多々あるということを知っておいた方がいいと思う。
良かれと思ってする行動が、「悪意のない悪意」となってしまい、この「悪意のない悪意」が最も質の悪い「悪意」となってしまうという本当に残念なことが起こっているのです。

私はこれまで、2度被災地に支援物資を届けたことがあって、初めては、2016年の熊本地震
震源地だった益城に住む友人とのやりとりで、友人の状況を確認し、必要なものを飯塚の共通の友人とともにかき集めたのだけれど、その時の問題は配達だった。大地震で交通網が遮断され、あちこちで交通規制がかかり、一般道を通ることができないため宅急便などは当てにならない。ところが、友人の一人が自営業をしており、支店が九州全般にあるため、独自のルートで運ぶことができるとのこと。会社の荷物と一緒に友人に届けてもらうことができた。

二度目は、2017年の九州北部豪雨。
飯塚から峠を一つ越えた朝倉市でおきた土砂災害で友人の自宅が流されたことを知った時の衝撃は大きかった。そして、被災者でありながら、その仕事柄被災者支援に駆け回っていた友人を励ますために物資を届けることに決めた。
その時もやはり、現地の友人と何が必要なのかを確認しながら進めたのだけれど、開設された避難所によって、必要なもの、余っているものが違っており、現地でも混乱しているとのことだった。それで、消耗品といった物資よりも、避難所で生活している子どもたちに向けて、絵本やカードゲームなど、少しでも気持ちが穏やかに過ごせるようなものと、子どもたちの肌着などを有志と共に集め、段ボールに何が入っているのかわかるように中身を大きく書き記して、私が友人に直接車で届けに行った。

友人と連絡を取り合うときも、やはり被災直後はいろんな方面とのやり取りに追われるため、安否の確認がとれたのなら、2,3日は様子を見ることが大切だと思う。2,3日経てば、状況が把握でき、これからの見通しについてもある程度方向性が見えてくるので、物資を検討しているのなら、このタイミングのほうがいいのかもしれない。
現地でのボランティアも、コロナの感染予防という視点が加わった最近では、容易に移動しないということも被災地を守るという点では大切になってくる。
支援する側としては、被災地が求めている援助、発信している内容をしっかりと把握して動くことが大切だと思う。


実際に動いてみたことで、いろいろなことを学ばせてもらったのだけれど、やはり、善意の押し売りにならないようにするには、一刻も早く届けたい気持ちは理解できるけれど、援助する側が気持ちのゆとりをもって待つこと、客観的になることなどが求められるような気がしている。そして、物資を送ることも大切ですが、気持ちを義援金という形で送ること、被災地を想い続けること、自分自身が災害に対する心構えや準備をしておくこと、こういったことが、私たちができる簡単で持続可能な支援の形なのかなとなんとなく今は思っているところです。


その後、友人の被災経験と、物資を届けるという経験がもとで、朝倉の友人と大学卒業後初めて再会し、私は防災士の資格を取ることとなります(笑)。
当時、友人と再会して、私が行った2度の支援は、本当に良かったのだろうか、もっとよい方法があったのかもしれない、そんなことを振り返っていると、それまでは、防災なんてまったく興味持っていなかったのだけれど、すごく身近なこととして感じ、考えている自分がいて、こういうことを地域の人々と一緒に考えて動いていけたらいいなということが、資格を取るきっかけになったと思っている。


こうやって振り返ってみると、本当に人生なんて、どこでどんな風になっていくのかわからない。だから面白いのだろうし、だから悩むのだろうけれど、これからもいろんなことにアンテナを張ってできるだけ前向きに楽しんで生きていきたい、そう思っている。