農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【枠のおはなし】

zoomの記事で、「枠」の話が出たから、ついでに。

zoomの記事はこちら↓

mosgreen3111.hatenablog.com

 

もともと自由な私。

束縛されるの大嫌い。

でも、旦那さんの家族と同居するようにになってからは、

そんなこと言ってられず、「枠」の多さに苦しめられました。

 

同居開始当時は、旦那さんのおばあちゃん、旦那さんの両親、

旦那さんの妹が一緒でした。

とくに、旦那さんのおばあちゃん、大正生まれ。

比較的裕福な家庭の長女に生まれたけれど、7歳の時に実母を亡くし、

継母に遠慮しながら、妹や弟の世話をしたそう。

農家に嫁ぎ、同居し、戦争を生き抜いてきた人。厳しかったです。

 

1歳になる長男をつれて、誰も知り合いのいない飯塚での生活。

妊娠と流産、次男の出産、子育て、そしてまた流産。

家のこと、農家の仕事、親戚付き合い(我が家は本家)、組内のこと。

どれも一生懸命するほど、「〇〇しなくちゃ」とか、

「〇〇でなくちゃ」っていう「枠」をしっかり固めてきたように思います。

でもね、どんなに頑張っても、「やって当たり前」でした。

子育てについても、そう。

子供のことを何か言われるたびに、

自分と子どもとの関わり方が悪いからなんだって、

子どもに対しても抑圧的だったかな。

今思うと、ほんと、子どもたちに申し訳なく思う。

言い訳すると、やっぱり、一生懸命だったんだと思う。

子どもたちのためにというより、自分のために、自分の「枠」のために。

家と畑、家と田んぼ、スーパーと学校、幼稚園。

私の行動範囲はそんなもんでした。

こんな感じで約7~8年間過ごしました。

 

私の「枠」が外れだしたのは、今から3年くらい前。

旦那さんのおばあちゃんが亡くなってから。

義父は、「The 公務員」だし、

旦那さんのおばあちゃんに育てられているせいもあるのか、

結構細かいこと言うし、面倒くさい性格。

 

逆に、義母は、おおらかで細かいことは言わないし、

マイペースで気にしない人。

私はこの義母の存在で本当に救われていると思っています。

だから、少しずつ少しずつ私の「枠」も緩くなったし、

同時に、世界がどんどん広がっていきました。

当時の私からは想像つかないくらい、今は「枠」外れすぎ(笑)

仕事をするようになったこと、自由に出歩くようになったこと、

家族の顔色をうかがいながらではなく、

自分の意志と状況を判断して、

自分で決めて行動することができるようになっていきました。

でもね、やっぱり、まだまだ私を悩ませる「枠」があるんです。

 

ずいぶん長く書き続けてきたので、

このあたりのことは、また改めて書きたいと思います。