Facebookで標記の記事が流れてきました。
信頼できる人は、小さな約束を守る人。
信頼できる人は、他を理解しようと「寄る」人。
だそう。
確かに、小さな約束をしっかり覚えていて、守ってくれる人は信頼できる。
話を聴いて、自分のほうに「寄せる」のではなくて、
こちらに心を「寄せて」くれる人は、一緒にいて、心地よい。
でも、
信頼できる人を「見分ける」っていう表現に、ちょっと違和感。
約束しなくても、相談事をしなくても、
その人の立ち振る舞いや何気ない雰囲気で、なんとなくわかる。
いい加減な人は、すべてにおいて、いい加減さが共通しているように思う。
服装も、身だしなみも、仕事のやり方も、人との接し方も、道具の扱い方も・・・
で、
自分自身が信頼できる人になってゆけば、
信頼できる人が、割合的には増えてゆくと思う。
相手を信頼できるかどうか?とのぞきこんでいる時、
相手もまた、あなたをのぞきこんでいるのだ。
と結んである。
私は、あんまりのぞきこまないかな。
人に対して、この人は「信頼できるかどうか」なんて考えない。
期待もしない。
嫌いな人、苦手な人はいるけれど、
そんな人に対しても、なるだけフラットに接するように心がけている。
難しいけど、心がけている・・というところがポイントかな。
私は自分の感覚を信じて、人と付き合っている。
信頼できる人としか付き合わないし、関わらない。
それは付き合いの長さとはまったく関係がない。
一緒にいて、心地よい人しか心を開かない。
私がそうしたくて、一緒にいる・・ただそれだけ。
「信頼できるかどうか」なんて考えながら人を見分けていては、
それこそ、信頼される人にはなれないと思う。
その人が信頼に値する人かどうかというよりも、
一緒にいるその人を、自分がどれだけ信頼できるか。
それが、一番大事なような気がする。