今日は午後から、「飯塚教育フォーラムR7」に参加。
お目当ては、コレ。
ドキュメンタリー映画の上映と、監督山崎エマさんの講演。
何かの折に、この映画のことを知ったのだけれど、まさかこんな形で観ることができるなんて思ってもいなかったので、迷わず申し込む。
小学校教育によって、子どもたちが協調性、統率性、集団性を刷り込まれ、没個性へと進む様子が描かれているのかと思った。
日本の学校教育に警鐘を鳴らすべく、ドキュメンタリーを撮ったのだと思っていた。
でも、違った。
優しい心を持ち、真面目に努力し続けることができ、責任感のある言動ができる大人になれたのは、まぎれもなく日本の小学6年間を過ごしたからである。
ここにあるのは、山崎エマ監督の、教員へのリスペクト、それ以外にはないように感じた。
コミュニティーの一員として、どうあるべきか、
学校は自分たちの場所で、自分の役割は何なのか、
それを子どもたちに投げかけ、導いていく教員の存在。
伝えたかったことは、1年間で子どもが成長していく姿と、それを支える教員の存在。
教育がこどもたちの未来を創り、社会を創っているということなんだと感じた。
それにしても、やはり、教員の負担は大きい。
そして、ドキュメンタリー映画として残されなかった部分が気になる。
映画は基本、掃除、日直制度、委員会活動、運動会や学級会などの特別活動に焦点が当てられており、子どもたちの様子、教員との関わりを通じて、こどもの心身の成長が見て取れる。
でも、特別活動以外の普通の授業風景、集団生活に馴染めない子どもの存在、保護者や地域との関りについてや教員の時間外の労働について、などは今回は描かれていない。
他にもきっとたくさんの課題があるだろう。
私の仕事の一部でもあるまちづくり協議会は、校区単位で存在している。
まち協の事務局として、学校との関りは切っても切れないのだけれど、校長の考え方次第でその距離感は近づいたり離れたりしている。
先生をサポートすることも、子どもたちを育むことも、まち協ができることはたくさんあるはず。
でも、より関わろうとするとかえって、学校側の業務を増やしてしまっていることもあるのだろうなと想像できる。
地域も、親も、学校も一緒になって、こどものしあわせのために何ができるのか考えていくにあたり、そのゴールの一つに、「よりよい日本の未来を創るため」という視点を取り入れることができたのが、今日のフォーラムの収穫。
映画も、教員も子どもたちも、全力で生きている様子が伝わって、良かったといえば良かったし、教育の結果統制がかかった子どもたちの様子に、気持ち悪さを覚える場面もあった。
どんな見方をするかによって、感想が変わってきそうだと思うのは、自分自身が今の教育現場に対し揺れ動く気持ちを持っているからだろうなと思っている。
これまでで良いと思う部分と、変えていかなければと思う部分とが整理されておらずごちゃ混ぜになっている。
あんまりうまくまとまっていないけれど、まとまっていないということがわかって、これからみんなで考えていくきっかけにしたい、そんな作品だった。
