農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【嫁を辞めたい】

稲刈りでも田植えでも、その渦中にあるときは気が張っている。
そのせいもあって、無事に終わってしばらくすると、どっと疲れが押し寄せてくる。
それでも、無事に済んだ安堵感だとか、収穫の喜びだとか、他の日々のちょっとした楽しいおしゃべりだとかでずいぶんと回復する。



今回の稲刈りでは、始まる前からずっと心に黒い雲がかかったみたいになっていて、それが取り払われるまでに数日かかってしまった。
黒い雲にとらわれた私の心も、昨日あたりからやっと、一連の出来事を小さく折りたたんで、私の中の私だけの、私を守るための、小さな缶の中にしまうことができた。


稲刈り前の金曜日、義妹一家が大分から稲刈りの手伝いに来てくれた。
いつもは姪っ子と甥っ子と夫婦4人で車でやってくるのだけれど、その日は、義弟が福岡で会議があるからと、一人別行動でやってきた。
会議が終わるのが夕方だから、博多で食事をして電車でくるとのこと。
夕食はいりません、駅までの迎えもいりません、大丈夫ですと連絡が来ていた。
そうはいっても、せめて駅までは迎えに行くから、電車の到着時間がわかったら連絡してねってラインを入れていたのだけれど、義弟は散策、探索をかねて、駅から歩いて我が家までやってきた。
時間が夜7時。
ちょうど食事の準備ができて、注ぎ分けていたころ。
食事はいらないって連絡をもらっていたから、ビールとつまみの用意をしていたのだけれど、義父が義弟の食事の準備をしろと。
いらないって連絡をうけているというも、「それを真に受けるのか」と。
仕方なく、調整して義弟の分を用意したけれど、結局義弟は手を付けなかった。

それから、義弟と義父と、お酒を飲みながらいろいろと話をしていたのだけれど、義父がおもむろに、
「うちに嫁にくるなら、大家族で育った人じゃないとうまくいかない」と・・・。
たしかに、義母は大家族育ち。7人兄妹の末っ子で、両親はもちろん、祖父母とも同居だった。さらには、上のお兄さんとは18歳も離れていて、小学生の低学年の頃にはお義姉さんがやってきている。
一方私は、核家族育ち。子どもの頃は山のふもとで育ったから野生児のようだったけれど、中学生からは港の近くのマンションに越して、そこで過ごした。
父は次男だったし、母の実家は近くだったけれど理容院を営んでいて、今の我が家のような広く、かつ濃厚な親戚づきあいというのはなかった。だからといって仲が悪かったかというと、そんな印象はないし、よく行き来して、いとこたちとも仲が良かった。


結婚して20年以上、同居して18年近くになるのに、大家族育ちではないという理由だけで、括られる。
これまでの私は、いったい何だったのか。

結婚するときもそうだった。
北九州育ちの(飯塚から見れば)都会育ち、マンション住まいの娘さん。
そんな枠にくくられていた。


盆暮れ正月、さらには春秋のお彼岸、旦那さんの弟妹ファミリーの帰省だけではなく、義父の弟妹ファミリーのおもてなし、さらには、亡くなった大舅と大姑の妹ファミリーのおもてなし。
亡くなった大舅大姑から見ると、姪っ子や内孫外孫にあたる人たちが、結婚してこどもができて、嫁ぎ先があっても、元旦早々我が家にやってくる。
暮れや盆に帰省する義妹、義弟ファミリーで、15人所帯。親戚寄りの席となると、ゆうに25人を超える人数のお正月や盆のおもてなし。おもてなしの振る舞いも、それにかかる費用も、全部本家もち。それが当たり前。
とにかく年中よく来るお客さんのおもてなし、その切り盛りをし、さらに働きながら米作りをする。
こんな嫁は、全国探してもそう簡単には見つからないだろうと自負しているのに、一番近い身内が、いとも簡単に私を傷つける。
それも、軽い言葉で、最小のエネルギーで。
軽い言葉、最小のエネルギーに、私は痛恨の一撃を喰らって、夜な夜な一人その言葉と場景を再生してしまうのだ。
呪いの言葉をかけられたように、ただその毒が消えるまで、じっと耐える。

嫁を辞めたい。
ここではないどこかへ行きたい。
心の声に耳を傾ける。
じわじわと涙が滲む。
声を上げてわめき散らすことができたらどんなだろう。
そうした後の所在なさを思うと、ただじっと静かに辛さに耐えてしまう。
そして、ちいさな缶に閉じ込めたはずのたくさんのエピソードがこぼれ落ちてくる。
普段は忘れているのに、あの時はこうだった、あの時もこうだった。
「農作業はみんなでやろう」そういうのに、「家のことはみんなでやろう」とはならない。
親戚の「嫁」の立場の女たちには寛容なのに、本家の「嫁」には求めるものも課すものもひどく厳しいのは、なぜなんだろう。
ちいさなあれやこれやがあふれ出てきて、暗闇の中静かに涙する。



いつか、子どもたちが結婚したら、、、
子どもたちはもちろん、そのパートナーにも、勝手な都合の良い「枠」は取り外して、大切な人、唯一無二の人として尊重しよう。
そして、義父母が寿命を全うしたら、、、
お正月は毎年来なくていいと言おう。
お嫁さんのご実家と、我が家と、交代でお正月を迎えればいい。
そして、たくさんの親戚が寄るのなら、一家族一品持ち寄りにしよう。
数年に一度、年末年始をどこか別の場所で過ごすのも悪くない。
余るほどのおもてなしはやめて、ささやかでもあたたかい時間を過ごそう。



女だから、嫁だから、母親だから。
そういうものから卒業できるのはいつになるだろう。
ちいさな缶に閉じ込めた思いが、いつか綺麗に浄化される日が来るように、できるだけ私は私らしく過ごしていきたい。