農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【忙しすぎて 泣くことを忘れてたことに 気付いた日】

ブログに残したいことはたくさん。
今月の着物のこと、漢方飲み始めた経過のこと、旦那さんの伯母さんが亡くなったこと、畑のこと、もち米のもみすりのこと、、、。
特別なことも、そうでないことも、書き残しておきたいことはたくさんあるのだけれど、時間がうまくとれなかったり、気持ちがうまくまとまらなかったり。



今朝は、長男が学校に行きたくないから休ませてほしいと言ってきた。
かまわない。休めばいい。
そう言えるのは、普段ちゃんと頑張ってる姿を見ているから。
自分で考えて、自分で選んできた。そして選んだ結果としての「今までの」彼と、「今」の彼を、彼自身が自分自身としてありのままに受け入れ、ありのままであろうとしている姿を知っているから。
要は、自律しているから、かな。

遅くまで勉強している姿を見て、
「勉強ばっかりしていると、つまらん人間になるぞ。遊べ、遊べ。」
といい、遊びに出かけていると、
「遊んでばっかりじゃつまらん。勉強せな、人生失敗するぞ。」
という、義父のダブルバインドに、私も彼も、正直うんざりしている。
そういう人と同居していると、ちょいっと「休む」ということはなかなか骨を折る作業になる。体を休めることはもちろん、心を休めることなんぞは、本当に難しいことになる。それは、私が身をもって体験しているから、なんとか彼を守ってやりたいと、強く思ってしまう。

良い大学に入って、良い仕事に就けば、良い仲間に恵まれて、良い伴侶にも出会える。
そう信じている人に、そんなことは幻想だといっても、そう簡単に伝わるものでもない。
「学ぶ」ということの本当の意味だとか、本当の喜びだとか、そういうものを知れば、人生いつからだって学べるし、見渡せばいつでも学びで溢れているものだと思う。
そういうことがわかるのは、私の場合、ずっとずっと後からだったし、たいてい多くの人も、たぶん、そうなんだと思う。いろんな経験をし、いろんな人に出会い、いろんな想いを抱いて初めて、人は「学ぶ」ことの大切さを知るのだと思う。


更年期による(と思われる)肌荒れがひどい。
目元と口元の発疹なんだけれど、これが、痛くもかゆくもなくて、化粧品が滲みたりひりひりしたりするわけでもない。だから、本人としては、鏡を見て初めて「ああ、そうだった、こんな状態だった」ってがっかりする程度。
でも、見ているほうはなかなかにしんどいみたいで、いろいろと心配して声をかけて慰めてくれる。
「がんばりすぎなんだよ」
「はたらきすぎなんだよ」
「いそがしすぎなんだよ」
「ほんとはたいへんなんだよ」
「心と体が出してるサインなんだよ」


ありがとう。
でも、どうしたらいいんだろうね。
がんばらない、はたらかない、すきにする、じぶんをかいほうする
その上手なやり方をおしえてほしい。
今の私のこの環境で、今以外の選択、今以上のうまいやり方、それがあるんだったら教えてほしい。
そうじゃないのなら、そっとしておいて。
そう思いながら、優しく心配して声をかけてくれるみなさんに、にこにこと笑顔をふりまく、変な私に困惑しています。
ここまで書いたら、なんだか泣けてきた。
今日は仕事は休み。
今からお友達と着付けの練習をして、和装での上手な写真の写り方をレクチャーして、おいしいランチを食べに行く。
泣いてる暇なんてないのだけれどほんとはじっくり涙を流す時間がいるみたい。

忙しくて、書けなかったブログをつらつらと書いていたら、
忙しすぎて、涙を流すことを忘れすぎてることに気付いたよ。
ゆっくりと涙を流す時間と場所を探さなきゃね。