ちょっと大きな決断をしようと思っています。
その決断がいいのか悪いのかは分からないけれど、
たいていは、「いい」って思ったり、そう判断したから決断するのであって、
その決断した結果って、ずっと先でしかわからないだろう。
そして、その結果は、いろんな角度から、いろんな切り口から見れば、
「よかった」ことにでも「悪かった」ことにでも
どちらにもなりうると思う。
大事なのは、ちゃんと考えて決断すること。
ちゃんと考えた決断を、
私は今、ちゃんと認めてもらいたくてしょうがないんだと思う。
激しく同意してもらいたいとか、
支持してもらいたいっていうのではなくて、
ちゃんと考えたということ、
決断をするという行動そのものを
そっと見守っていてほしい
そんな気持ちでいっぱい。
誰にもわからないいつかの未来のことを
心配してあれこれ意見を言われたり、嫌味を言われたり、
それでもそれらについてちゃんと考えて出そうとしている決断を
拍手で受け入れてほしいのではなく、
決断することの責任を負う勇気を持ったことを
そっと見守っていてほしい。
決断したことが、失敗やつまづきを招いても、
「それ、みたことか!」ではなく、
傷をそっとかばってくれる、そんな優しさを持っていてほしいと求めてしまう。
今、こんな経験をして、こんな気持ちを持っているからこそ、
自分の子どもたちには、そういう存在であり続けたいと強く思う。
決断することそのものよりも、
私がどれだけ信頼されているかを試されているようで、
毎日心がざわざわしています。