明日から、研修で家を空ける。
なんと、5泊6日も。行先は関西方面。
研修は、金曜土曜日曜の3日間。朝から夕方までびっちり。
前日の木曜日に現地入りして、日曜日の夕方研修終了後帰宅、、、
それじゃあつまらないので、明日現地入りして、木曜日に会いたかった「はじめまして!」の方と会う約束をした。
金曜土曜日曜と3日間みっちり缶詰で研修を受けた後、月曜日の夕方に家に着くよう、のんびり帰ろうと計画を立てた。
自分で決めておきながら、なぜかもう、どきどきの毎日。
何に対してこんなにどきどきしているのだろう。
つらつらと自分のどきどきに向き合ってみる。
どうも、わくわくする前向きなどきどきと、びくびくした小心者のどきどきとが入り混じっているようだ。
そういいながらも、どちらかというと、びくびくを伴うどきどきが続きそうだ。
出発してしまえばきっと、どきどきもワクワクへと変わっていくのだろうけれど。
さて、びくびくを伴うどきどきの理由はなんぞや。
参加する研修が未知の研修であること、あまり自信のない分野であること、自分より知識も経験も関わっている年数もずっとずっと上な人たちばかりの中に飛び込んでいくこと。
それから、、、仕事のこと。
不在の間、代わりに担当してもらわなければならない業務の準備や申し送りの資料作成、それらに不備がないか何度も確認している。学校が終業式を迎えるため、8月のイベントのチラシ配布の件や、その他講座の準備状況など、見落としがないか、神経質なくらい確認している。
休んでいる間、仲間にできるだけ負担がかからないように準備する。
こんなに仕事を休むこと自体初めてかも。
あとは、やっぱり家のこと。
こんなに長く家を空けるのは、当然だけれど初めてのこと。
一泊だって空けた記憶がないくらい。
でもさ、どうしてこんなに後ろめたさをかんじるんだろう。
20年間、一生懸命家のことをしてきて、自分のことは後回しでたくさんのことを犠牲にしてきたというのに。
食事の準備はどうするのか?とか、どうしてそんなことを私が気にしなければならないのだろう。
大の大人が3人もいて、自分たちが生きるための最も基本的で重要な仕事をほぼほぼ人にまかせっきりにしてきた人たちなのだから。
子どものことはどうするのか?どうして父親がそばにいるのに、私にばかり負担をかけようとするのだろう。
直接言われたわけではないけれど、だんなが家を空けるのことに何の抵抗もない一方で、私が家を空けるのに、どうしてこんなに葛藤があるのだろう。
嫁だから?母親だから?家にいるのが当然だから?
これらは全部自分の思い込みに過ぎないのだ。
自分の思い込みや殻を破って外に飛び出す、それはきっと、バンジージャンプみたいなものだ。
飛ぶ!と決めたものの、その高さにおびえ、準備をしながらも止めるなら今だと迷い、今まで見たこともない絶景に魅了されながらも、最悪のことを考える。
飛んだ先の喜びと快感と、自分と周りとすべてを信じる力。
それらが調和した時、勇気がみなぎって、きっと、遠くへ飛べるんだと思う。
飛ぶ!と決めた。
だから飛ぶことを妨げようとする思考は終わりにしたい、終わりにしよう。
思いっきり楽しんで、「飛べたよ!」「楽しかったよ!」「素晴らしかったよ!」と伝えよう。
「私が飛べたのは、あなたのおかげ」「勇気をくれてありがとう」と言おう。
「私が飛べたから、あなたも飛べるよ」って、次に挑戦する人の背中を押してあげられる人になろう。
そう言えるように、過ごしてみよう。
そうやって過ごした先にある、一番伝えたいこと、
それが、感謝、なのかもしれないね。
