忙しければ忙しいほど、自分の時間が空虚になっていく。
やらなければならないことを終えて、ほっと一息ついて座り込んでしまおうものなら、その腰は急激に重くなり、半開きになった口からは見えない魂が「あ゛ーーー」と抜けていって、白目になっちゃう感じ。
ハッと気づいたときにはもう時すでにおそし。
時間は過ぎたけれど、何も進んでいなくて、どこか別の次元にタイムワープしていたかのよう。
我に返って、布団に潜り込む。
たいてい、あわてて、後悔しながら、腹立たしく思いながら、のどれかの感情と共に。
ここのところ、毎日そんな感じ。
ただでさえ、なんでかよくわからないくらい忙しいのに、ここ2,3日、義母が体調不良で寝込んでいるせいもあって、輪をかけて忙しい。
普段義母がしてくれている、朝食の茶碗洗いや、タオル類の洗濯や、ゴミ出し、お風呂掃除など、一つ一つは地味で存在感が薄い家事なんだけれど、実は大事!というものをしてから出勤している。
昼休みに義母のためにお粥を炊きに帰ったり、帰りに義母の食べたいものを買いにお店に寄る。
そんな小さなことが積み重なって、なんだかやっぱり忙しい。
忙しくなると、人に優しくできなくなるのはなんでだろう。
忙しければ忙しいほど、努めて人に優しく!と思うのだけれど、そんな思いは気付けば忘却の彼方(笑)。
義母には夫という存在がいて、子どももいる。この場合、私から見ると義父とだんなさん。二人からすれば、長年連れ添った妻であり、自分の母親であるのに、その彼女が体調不良というのにどこ吹く風。
何かしようという気も起こさないし、できることはないかと考えるふうでもない。
あれこれと考えて行動するのは私で、義母がしていた家事をするために時間配分を考えて早起きしてみたりするのも私。
二人の生活は何も変わらない。
ほんと、イライラする。
でも、ふと気づく。
あれ、ちょっと待てよ。これはあかんやつやん。
このままでは、先が思いやられる。
近い将来、介護が必要になったりしたときどうするんだよ。
昨晩は、旦那さんに
「一緒にご飯をつくろう」
と声をかけた。
言えばしてくれる。
でも、言わないとしない。
本当に優しくないやつだ。
なのに、「優しそうなだんなさん」で通ってるのが腹立つ。
あくまで優し「そう」。そこに騙された。
夕方、先に帰宅したのなら、カーテンを閉めるとか、お風呂にお湯を入れるとか、なんで気が付かないのだろう?
いちいち「○○して」と言わないとできないのは腹が立つが、してもらうために、ここは我慢、我慢。
そして、あと、大事なのは、言い方。
腹が立つけれど、そこは隠してなるだけ穏やかにお願いする。
「お願いする」のもおかしいだろ!!って、ますます腹が立ってくるけれど、仕方がない。
私はこの家の女中でも家政婦でもない!
ああ、一人になりたい!
そう思いながら、フリーペーパーの賃貸情報の間取りを見て、一人で暮らす妄想をする。タイムワープのきっかけなんてそんなもの。
そして、あわてて現実に戻ってくる。
いまのところ、これで心の安寧を保っている。
自分のためだけに、自分の時間を贅沢につかうんだ。
いつでも飛び出してやるんだから。
いつでも飛び出せるんだから。
次に誰かと一緒に暮らすときは、自分と生活偏差値が同じくらいの人と一緒に過ごすんだ!
字面にするとかなり笑える(笑)。
でもわりとすっきりする(笑)。
今日も明日も、タイムワープするかも。
義母が早く元気になりますように。