農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【ブラック ぶさいく もすぐりーん】

今日は、ブラック ぶさいく もすぐりーん登場。
最近登場回数が多いような気がする…。
お会いしたくない方は、どうぞスルーでお願いします。

 


今日の夜、長男が帰ってくる。
親よりも、ジジババが浮足立っている(笑)。
それをみて、一気に白けてしまうわたし。

長男は、旦那さんの妹一家と一緒に帰省する。
車で連れて帰ってきてくれるんだって。
まだ一人暮らし始まったばかりだけれど、4月は数回、夕食にも声かけてもらって、一緒にいただいたみたい。
アルバイトとして、妹の中学生になる二人の子どもたちの家庭教師も打診されているんだって。

ふーーーーーーーん。

気にかけてもらって、可愛がってもらってる。
それなのに、、、、なんだろうね、素直にありがたく思えないわたし。
ああ、つまんない。


連休前半でも、妹一家が帰省。
今度の連休ももちろん帰省。
4日は妹の旦那さんのご両親の米寿のお祝いをするのだそう。
私たち夫婦の連休の予定は、専ら、田んぼか畑。
義父母もちょこちょこ予定が入っているみたい。
田んぼも畑も、行けば仕事は山盛りなのに、どうして人の都合に合わせないといけないのだろう。
手伝いに来てくれる人の都合にあわせて野良仕事をするって、おかしくないかい?


盆暮れ正月農繁期は、家の中はたいてい10人。
10人食べさせるための買い物から準備から片づけなど、農作業と並行してする。
もちろん妹も手伝ってくれるけれど、そこはやっぱり、「手伝い」のスタンス。
数日間のメニューを考えて、買い物して、まとめ買いしておく。
実家に帰ってきた「娘」と、他家に嫁いだ「娘」を上手に使い分けているように見えるのはわたしだけか。

義父が言うには、
「イエがうまくいくのは、誰かが犠牲になってくれるから」。
この場合は、嫁。
嫁である私が犠牲になっているから、イエがうまくまわるんだと。
犠牲具合で、いい嫁だとか、悪い嫁だとか決めつけているんだろうよ。
言わせてもらうけど、そもそも、犠牲になっている人がいるってわかっているのなら、犠牲にならなくてもうまく回る方法を考えてくれるのが家長というものだろうよ。
嫁が犠牲になっているってわかっているのなら、お前が代わってやれよ。それが家長というものだろうよ。


次男が高校に入り、朝の課外も始まり、休日も部活。
朝課外の分、早起きして朝ご飯をつくり、休みの日もお弁当作りに励んでいるけれど、生活習慣が変化するのは私だけで、父である夫は何の変りもなく日々を過ごしている。
嫁は早起きしているけれど、夫の起きる時間は変わらない。
嫁は仕事が忙しく、帰宅が遅くなるけれど、夫の夕方の過ごし方は変わらない。
気付かない、気付けない。


最近思うのだけれど、こういった考え、価値観って、もう地域や世代ではなく「個人」の問題だなって。
気付いて変わっていく人もいれば、気付いても変われない人もいる。
気付けない人、気付こうとしない人もいるし、受け入れようとさえしない人もいる。
同じ世代でも、友人のところは旦那さんがお料理もするし、片づけもする。
「手伝い」ではなく、主体的で、その関係は対等である。
我が夫は、「手伝い」がやっと。
それも渋々。私の顔色をうかがいながら。
やだねーーー。

今日も朝から思うんだー。

ひとりになりたいよーーー!!