農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【卒業式で慌てた話】

卒業式に着た着物

 

上の段が長男の高校卒業式に着た着物。
下の段が次男の中学校卒業式に着た着物。
帯は同じ丸帯。

長男の卒業式では、ハンカチとチリ紙を忘れるというヘマをした。
着物を着ている途中、ハンカチとチリ紙を準備し忘れていることに気付いて、絶対に忘れないように気を付けなくては!って自分に言い聞かせたはずなのに、ぜんぜん届いてなかった(笑)。

会場入りして席について、ホッと一息ついた瞬間、ハンカチチリ紙を忘れたことに気付き、「やばい」ってなる(笑)。
会場には吹奏楽部が待機。生演奏で感動するやつじゃん。
会場正面には大型スクリーンが下げられ、流行りのJーPOPに合わせて、学校生活を映した写真がスライドショーで流れている。体育祭だとか、文化祭だとか、部活の様子だとか、何気ない日常が音楽に合わせて流れてくる。
じっくり見るとじんわり感動するやつじゃん。
ぽろぽろと涙を流すほどではないかもしれないけれど、泣くまいと我慢した涙が、鼻水となって流れてくるかもしれない。
だめだ、絶対ハンカチがいる。


ハンカチチリ紙なしで、涙をぬぐう方法を必死になって考える。
ぐるぐる考えて、そしてひらめく。
早速準備のためにトイレへ。
トイレットペーパーを適当な長さで何重かに折りたたんだものを3つほど作り、それを左のたもとに忍ばせる。
これで完璧。
このハンカチ風トイレットペーパーを握り締めて目元を押さえたり、鼻を押さえたりすれば、涙も鼻水も吸収される。誰もトイレットペーパーなんて気づきやしない!
私、すごい!完璧じゃん!
ほっと一安心で、そそくさと席に戻る。


小学校の卒業式では泣かなかった。
最後のホームルームでの担任の先生の言葉に、すこしウルっときたけれど。
中学校卒業の時は、中高一貫校だったから、あくまで一つの区切りの儀式という感じがして泣かなかった。
高校生にもなると、保護者もそんなに学校に行く機会はなかったし、ほとんどの学校行事もコロナで観に行くことができなかった。
だから、高校卒業といっても、私の中ではさっぱりとした気持ちでいたのだけれど、実際に会場入りすると、その気持ちは覆されるほどだった。
卒業式前の会場の雰囲気作り、送辞・答辞のやりとりなど、高校生ともなるとその表現力のすばらしさに感動する。学び舎で過ごした結果がこの式に凝縮されているんだなと思うと、彼らの感受性の豊かさだとか創造力、芸術性などが眩しく感じられた。

泣くつもりなんてなかったのに、すっかり感動してしまって、たもとに忍ばせた、なんちゃってハンカチに助けられまくった卒業式。私の中で、思い出に残る卒業式となった。

【3月17日 雨】

昨日はちょっとしたことからすっかり気分が落ち込んでしまい、今日はどうなることかと思ったけれど、意外に穏やかな一日が過ごせた。
音もなく細かく優しい雨が降ったせいかな。

金曜日に次男が進学する高校の説明会があり、体操服や上靴を購入し、あれこれとムズカシイ説明を聴いてきた。
提出する書類もたくさんで、それも入学式に一括して提出ではなく、3月中に提出するものもあるようで、少し混乱気味。
加えて、納入しなければならないお金と、登録しなければならない手続きなどもあり、それぞれ締切が異なることがやっかいで、忘れずに片づけていくことに自信を持てずにいる。
とりあえず今日は、指定された場所に教科書一式を買いに行ってきた。
明日は次男を連れて制服購入、それから入学金納入も忘れずに。


午後、ずっと気になっていたことをした。

土手のつくし採り


2月の終わりくらいから、川土手につくしを採りに行きたくて、うずうずしていた。
毎年必ず採りに行くのに、今年はなかなか行けず、気になって仕方がなかった。
細かい雨が降ってはいたけれど、車に長靴をつんで様子を見に行ってみた。
にょきにょきと伸びたつくし。胞子を飛ばして開ききってしまっているつくしも多かったけれど、よくよく探してみると、まだまだ胞子をしっかり抱えたつくしがあちこちにたくさん顔を出している。
傘を差しながら、土手を上ったり下りたり。
滑らないように気を付けながら、気が済むまで摘む。

帰宅して、爪の先を真っ黒にしながらはかまを取り、卵とじに。
今年も食べられてよかった。
時間が取れたら、もう一回くらいは行きたいな。




【4年間一緒だった人】

今日は、センター職員全員で、先日開催した「センターまつり」の慰労会を行った。
そして今日は、職員異動の内示が出て、センター長が他課へと異動することになった。
今日の慰労会の発起人はセンター長だったのだけれど、ちょっぴりさみしさが伴う飲み会となった。

今のセンター長が来たのは4年前。
ちょうどセンターが改修工事になった時で、加えてコロナで休館になったり、「濃厚接触者」だとか「自宅待機」だとか、「三密を避ける」だとかで、センターの運営も大変な時期だった。
生涯学習事業、社会教育事業、まちづくり事業、どれも人と人とが密に関わってこその事業ばかりだったので、センターの在り方だとか、果たす役割だとかをあれこれ考えながら運営していたような記憶がある。
そんな変化の激しい時期を共に工夫しながら過ごしてきただけに、今回感じるさみしさというのは、至極当然なような気もしている。

頼りなさげな印象を与えるセンター長だったけれど、私たちにとっては親しみが持てて相談しやすく、お兄さん的存在だった。
実際、私たち職員へのまなざしは柔らかく、一方でその見た目に反してまちづくりへの想いは強いものがあり、それは一緒に乗り越えてきたからこそわかる評価だと思う。


お開きになって、店の外に出てみんなであれこれ話をして、別れを惜しんでいるときに、ふと遠くに目をやると、電柱の灯りにともされた1本の満開の桜が目に入る。

吸い寄せられるように100メートルばかし離れた木の下へ。
これはカンザクラかな。
予想外の桜の出現に気分が高まった。
暗闇の中、灯りにともされ淡いピンクに浮かび上がる桜の美しさ。
思いがけず夜桜。
でも、花あかりのせいで、別れの淋しさが増した。