うちのお姑さん、実におおらかな人。
細かいことは言わないし、いつもにこにこ笑っているし、「どうせ生きるなら、楽しく生きなもったいない」が口癖。
だから、自分の気持ちに素直、自由、朗らか。
いろんなことについつい制限をかけすぎてしまう私から見ると、ホントうらやましいくらいだよ。
私は、義母のこのおおらかさにずいぶん助けられてきた。
そして今も、間違いなく助けられている。
でもね、義母は、後片付けや整理整頓が大の苦手。
だから、食事の後の汚れた食器を流し台に片づけてくれるのはありがたいけれど、、、
炊飯器のお釜の中に、ドボンと油のついたお皿を滑り込ませるの(笑)。
まあ、できるだけ油のついた食器とそうでない食器とを分けて洗いたいというのは、おおらかな義母にとってはあまり関係のないことで、むしろ私の勝手なルールなのだから、強制するつもりもない。だから、滑り込ませられないように、いつもお水を張った炊飯器は、流し台のシンクの外に置いていることが多いんだけれど、ね。
炊飯器のお釜を洗いながら、いつかずっとこの先、義母のことを思い出すとき、
皆で義母の話をするとき、「ばあちゃんがさぁ・・・」なんて笑いながら食器洗いの話をするのかなっと思ったら、義母のこと、茶碗洗いのこと、ブログのネタにしようとこっそり写真を撮っている私、そしてこんなことを想う時間、そういうことすべてが、なんだかすごく愛おしく思えた。
タイミングよく流れてきた音楽が「summerー久石 譲ー」っていうのも、なんだか憎いし、なぜか泣けてくる。
穏やかなピアノの調べと日常の些細な出来事が、義母の思い出となって、強く強く私の記憶に残るんだろうな。