知り合いの女性から、羽織が届いた。
私の母と同い年で、とても品があって、奥ゆかしい女性。
着物を通じて知り合ったのだけれど、
数年前にご主人を亡くし、娘さんも旦那さんの転勤で県外へ。
その後、お世話をしていたお母さまを亡くし、去年、愛犬を亡くし、
今は一人で暮らしている。
私のお茶の先生は、この方の紹介。
この女性も一緒にお稽古をしていたけれど、
先にも書いたような事情で、お稽古をしばらくお休みされていて、
その間に私が免状をいただいたりしたので、
今ではお稽古の曜日が変わってしまい、
コロナでお茶事もないため、すっかりお会いしないまま月日ばかりが過ぎている。
そんな中、お茶の先生に、私へと、羽織をことづけられていて、
達筆なお手紙も添えられていた。
コロナで自宅で過ごすことが多く、
そのため、今後のことを考えて、少しずつ断捨離をしている。
羽織は、その女性が若いときに、お母さまから作っていただいたもの。
どこの反物から作ったのかわからないけれど、その女性は、
「きぬたや(しぼりの最高峰メーカー)」さんのものではないかと思っている。
もしよかったら、行きつけの着物屋さんで見てもらって、結果を教えてほしい。
もしも、「きぬたや」さんのものではなかったら、
譲るのも失礼になるかもしれないから、返してもらってかまわない・・・
というような内容のお手紙でした。
それで、先日、行きつけの着物屋さんにさりげなく持っていき、
見てもらったのだけれど、「きぬたや」ではないとのこと。
私の中では、「きぬたや」であろうとなかろうと、まったくかまわなくて、
こんな素敵な総絞りの羽織、手元にあれば喜んで羽織るから、
ぜひ、譲ってほしいとお返事するつもりです。
だって、もう、この羽織に合う羽織紐を選んで帰ってきてしまったのだから。
きっと、大切にしてきた羽織なんだと思う。
きれいにたたまれていて、滲みも汚れも見当たらない。
想いのこもったものを譲ってもらうこと、
わざわざ私を選んでくれたこと、
言葉以上の想いを感じずにはいられない。
着物には、1枚1枚、この想いが込められている。
この想いは、着物の値段には現れないし、
人によって感じ方はそれぞれだと思う。
まったくもって、客観的ではないし、分りにくいし、
必要ないと思う人もいるかもしれない。
でも、私は、このわかりにくいモノにひどく惹かれ、
このわかりにくいモノこそ、大切にしたいと強く思ってしまうのだ。