農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言

~仕事のこと、農作業のこと、家のこと、子どものこと、 何気ない出来事 ~

【父の遺した仕事】

先日、遅れたお彼岸のお参りで

父のことをゆっくり思い出しました。

 

私の父は、64歳で亡くなったんだけど、亡くなるまでほぼ現役。

18歳で工業高校を卒業してから、1つの会社にずっと身を置いて働きました。

 

父がいた会社は、タンクを造る会社。

工業地帯なんかにある、丸い大きなあのタンクです。

 

私が子供のころは、父は単身赴任でいつも家にいませんでした。

一度工事が始まると、タンクが完成するまでほとんど戻りませんでした。

行先は日本全国津々浦々。

行っていない都道府県はない、と生前話していました。

海外での作業もありました。

マレーシアやフィリピン、イラクへも行っています。

 

たまに家にいて、家から通勤するときは、いつも作業着と安全靴でした。

 

父が亡くなる前、会社での肩書は工事部の「部長」でした。

肩書がつくようになってからは、単身赴任ではなく、

スーツで出張に行くことが多くなり、

現場での滞在日数も以前のように工事が終わるまでではなく、

取引先とのやり取りや、工事に関する調整役が主だったようです。

 

父は、家では仕事のことはほとんど口にしませんでしたが、

「現場の人」だったんだろうなということが、容易に想像できます。

そう思うのは、父の初盆の時に、お参りに来てくれた職場の方々が話してくれた父の思い出話から。

取引先が父を指名し、父ではないと交渉しないと言って困った話。

単身赴任中の部下の奥さんが産後うつで不安定だと聞くと、

すぐに部下を地元に戻し、人員調整をしてくれたという話。

きっと、工事が順調に進むまでは現地に滞在し、

なにか問題があれば、すぐにでも駆け付ける人だったんだろうなと思っています。

初盆の時は、私の知らなかった父の姿をたくさん教えてもらって、

多くを語らなかった父を誇りに思い、涙があふれて止まらなかったし、

そんな父の話をたくさん聞かせてくれる部下の方々に、本当に感謝の想いでいっぱいでした。

 

父はもういないけれど、

父がしてきた仕事は、日本中に残っている。

父に会えなくなっても、

私は、父が遺した仕事に、会うことができる。

 

丸い大きなタンクをみると、

あれは私の父が造ったんだよ!って

本当は違うかもしれないけれど、

小さな子どもに戻ったみたいに、

大きな声でみんなに知らせたくなるのです。

 

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